毎年夏になると、夜空の星座が話題になります。特に夏休みになると子供達で何処のプラネタリウムも満席のようですが、私はこの星座の図柄を目にした時に、以前から気になっていたことが有ります。それは色々な星座(現在は88種類)の名前や形が、どれを取り上げてもわざとらしさが有って親しみがもてないことです・「天球上の恒星の群をある形に見立てて区分したもの」と言う説明は理解できますが、問題はその図柄です。図柄の基本になる恒星はほんの二つか三つ位で、あとは、その恒星とは全然関係のないところへ線を引き、点をうって無理矢理にある形に纏め上げているように思えてならないのです。そこへいくと、日本の神話や御伽噺が如何に自然で純朴か、と思わざるをえません。天の川の牽牛と彦星の話や、兎が餅つきをするお月様の想像図等、地上からふっと見上げて目に入って来た光景を、何の作為も装飾も無く、唯、素直に見たままを基本にして話が出来上がっているように思われます。悪いことをして謝るどころか、逆に開き直って相手が悪いからこうなったんだ、とでも言いたげな無責任な人が増えた今日この頃の世相を思う時、せめて空に輝くお星様ぐらいは、何の飾り気もなく、素直な気持ちで見る人の心心に任せて観賞したらイイのではないかと、つくづく思います。あれはカシオペア座だとかオリオン星座だとか、型にはまった見方をしないで、見ている人の見えるがままに任せてあげたらどうなんでしょうかね。夜空に瞬く星を眺めてふと考えさせられました。・
星座のこと
6月 29th, 2009タイヤのこと
6月 2nd, 2009地球温暖化とかエコとか地球上の炭酸ガス削減の必要性が叫ばれる様になってずいぶんの時間が経過してきました。地球上のあらゆる国が等しく考えなければならない大きな問題ですが、如何せん、各国のエゴが邪魔をして中々捗らないようです。私はこの炭酸ガス削減の他に、もう一つ気になることが有ります。それは見出しにも書きましたが、「タイヤ」の事です。地球上のあらゆる地域で活動している「車」の下に取り付けられた「タイヤ」の事です。車が路面を走り、路面と摩擦する事によって多かれ少なかれタイヤが磨耗していることは間違いないのです。しかも昨日や今日に始まったことではありません。この世に「タイヤ」なる物が発明されてから今日まで、自動車は勿論、飛行機や船の緩衝材等あらゆる所で使われております。そしてそれらは使われる年数に比例して確実に磨耗しているのです。古くなったタイヤは新しいものと取り替えられて使い続けられていくのです。私が気になるのは、この過程の中で磨り減って粉々になって宙に浮遊しているであろう「タイヤ」の粉塵のことです。目には見えなくても地球上のあらゆる場所で日夜磨り減って粉塵となって舞い上がった「タイヤ」の粉は、一体、何処へ消えているのでしょうか。タイヤと同じ地球上で呼吸をしながら生きている私達の肺の中に吸い込まれていないと誰が断言できるでしょうか。アスベストや炭鉱の構内の粉塵、トンネル工事の際の粉塵等色々取り上げられてはいますが、不思議とこの「タイヤ」の事だけは誰も取り上げては居ないようです。でも、これから地球上で呼吸をしながら生きていく我々人類を始め、あらゆる生き物の呼吸器の中に、この「見えないタイヤの粉塵」が秘かに蓄積していることは間違い無い事だと思われます。何時の日か誰かが取り上げて大騒ぎになる事は間違いないような気がします。それとも私が生きている間にはそんな事は問題にもならないのでしょうか。閑な年寄りの取り越し苦労であればいいのですが・・・・。
「~より」と「~から」のこと
5月 5th, 2009テレビの天気予報を視聴していて以前から気になっていた事が有ります。それは、予報の中で「風の吹いてくる方向を伝える時の表現」で「北よりの風」「南よりの風」「北西よりの風」「南西よりの風」等と言う様に「~より」と言う表現が頻繁に使われている事です。この場合の「~より」と言う言葉の使い方が気になってしょうがないのです。私達の若い頃はこの「~より」という言葉は「複数のものを(比較する時)に使う言葉」であり、「~から」と言う言葉は「何処から何処まで」と言う時の様に(物事の起点を表す)時に使う言葉であると教わった記憶があり、自分でもその様に信じて使って来ました。「春より秋がいい」とか「インターからインターまで」とか言うように。この理論からすると天気予報の「北よりの」とか「南よりの」とか言う言葉は「北からの」とか「南からの」と言う様に「読み替えなければいけないのではないか」。何故なら「北の方から吹いてくる風」「南の方から吹いてくる風」と言う意味だと思われるので、そうで有れば当然「起点を表す言葉」であるので「~より」は「~から」と読むのが正論だと思うからす。ただ、何かの機会で「~から」と言う表現はマイクを通して発音した場合に其処だけが強く響いてしまうので「~から」よりも「~より」と言った方が柔らかく響くのでその様に発音しているのだ、と言う様なことを聞いたことが有るし、又別の機会に「~から」よりも「~より」の方が丁寧に聞こえるのでその様に発音しているのだ、と言う様な事も聞いた事があります。どちらも正論のように思われますが、果たして本当のところはどうなんでしょうか?この他にも「あの煙突は此処から見ると少し右よりに傾いて見えるよ」とか「彼の考え方は少し〇〇よりだね」などと言う表現も有りますが、この場合の「~より」は果して何処に属するのでしょうか。科学の最先端を行く気象衛星からの情報をもとに、痒い所に手が届くような親切な作今の天気予報を視聴していて、以前から気になっていた事を書いて見ました。