最近のテレビドラマで妙に気になる事があります。それは主に「殺人事件を扱ったドラマ」に多いのです。気になることの一つは「ドラマの題名がやたらと長たらしい」ことです。題名を読んだだけでドラマの筋書きが半分以上解ってしまいそうな題名が付けてあります。次に気になることは「ドラマの終わりの方になると、主人公の人物に問い詰められた殺人犯人が、長々と時間をかけて全てを白状してしまい、白状し終わった頃に警察のパトカーがサイレンを鳴らし赤色灯をつけて近づいてきて、中から三・四人の刑事が現れて、どこで聞いていたのか、さも、全てを知っているような顔をして犯人に手錠をかけて連行する」と言うような場面がよく見られる事です。しかもその場所が決って「風光明媚な海岸とか砂浜とか湖畔とか切り立つような断崖絶壁の上だとか」なのです。それぞれのドラマには有名な俳優や女優が出演していて夫々に高い出演料が払われていることだろうと思います。方々の観光地でのロケだったり時には海外の有名な観光地が登場することもあります。ぞれ相当の費用をかけて製作されていることは疑う余地は無いでしょう。充分なお金と時間をかけて作られたと思われるドラマが、前述の様な平板な筋書きのドラマにしか出来上がらないのかと思うと情けなくなってきます。もっと深みのあるドラマは出来ないのでしょうか?ドラマの制作に携わる人達のここ一番の奮起を願って止みません。予告編の画像だけがやけに迫力があったりして・・・・・白けてしまいます。
Archive for 10月, 2008
事件物のテレビドラマのこと
土曜日, 10月 11th, 2008稲穂のこと
火曜日, 10月 7th, 2008私の住んでいるマンションの周囲は殆どが田んぼです。その為に日課にしているウォーキングは田んぼの間に造られた所謂「農道」を通るわけです。「農道」と言っても昔と違って全て全面舗装ですので、歩くのに不便は感じません。その「農道」の両脇に今、稲刈りを待つばかりの黄金色に色付いた稲穂の姿が一面に広がっております。しかも稲穂は申し合わせた様に頭をたれてオジギをしている様に見えるのです。この風景を見ながら私は若い頃を思い出します。良く先輩や先生、時には親からも「実れば実るほど頭を下げる稲穂の様な立派な人間になれ」と言う様な言葉を何度となく聞かされたことが有りました。幸いにして私は頭を低くしなければならないような「偉い人」にならずにすんだのですが。さてこの言葉!!。尤もらしく聞こえますが、考えて見ると可笑しいですね。稲穂が頭を下げるのは(頭を下げている様に見えるのは)誰かに感謝してその気持ちを表す為にそうしているのではなくて単なる「重力の作用に従っている」だけなんでしょう。稲穂自身の意志の力で頭を垂れている訳ではないですよね。自分は実ってきたから、人間が自分を手本にしているから頭を低くしなければいけないんだ、と考えてそうしている訳ではないですよね。ただただ米の実が実ってきて重たくなってきたのでその重さに耐え切れずに穂先を下げているだけなんでしょう。為政者が国を治める時、色々なことを国民に周知徹底させて、国民をある一定の方向に向かわせようと考える訳ですが、稲穂はその例えの道具に使われただけの事ですよね。たわわに実って稲刈りを待つだけの稲穂の姿を見てふと気付いた事を書いて見ました。昔の稲穂達はさぞや窮屈だったのではないでしょうか。自分の知らない所で勝手に人間のお手本に祭り上げられて・・・。やりたい事もやらず、ただただ品行方正にして我が身を律して、実った穂先を垂れ続けていた昔の稲穂達。どうかゆっくり休んでください。