Archive for 6月, 2013

天気予報のこと

金曜日, 6月 21st, 2013

毎年の事ですが、6月に入り梅雨を迎え、更に台風シーズンが到来して、テレビやラジオ各局の天気予報がにぎやかになって来ました。予報士の方でも、夫々特徴を出そうと言う狙いからか、色々細かい所まで手が届く様な方法で予報をやってくれるようになり、聞いて居る方では誠に有難い限りで有ります。中には、視聴者から「三日後から一週間、お婆ちゃん達と○○へ旅行に行きますが、そちらの天気は如何でしょうか?」等と、ピンポイントで質問を受けて回答している予報士も居たりして、和やかでほのぼのとした温もりを感じながら見たりして居ります。が、偶々観たある局の天気予報で、ふと気になった事が有りました。それは、過ぎ去った昨日の天気を「昨日のお天気は何故あんな事になったのか」と言う事を盛んに天気図を示しながら説明して居た事です。即ち「この地域にこう言う○○が有ったからこちらの地域がこういう天気になったのです」と言う様な内容です。気象学等を専門に勉強している人達には、大変参考になる事かも知れませんが、私を始め、大多数の人には、既に終わった事をいくら細かく説明されても「ああそうですか」と単にうなずく程度の興味しかないと思われるのです。終わった事をくどくどと説明する時間が有ったなら、その時間を使って、「その地域にそう言う○○が発生するかもしれなせん、若し、それが発生したら、こちらの地域ではこんな天気になりますよ」と、予報してくれた方がよほど有難いと思うのです。終わった事を丁寧に説明すればするほど、それは、「予報が外れた事に対する言い訳をしている」ようにしか映らない様な気がします。「天気の予報と天気の結果報告」とを混同しないで、しっかりと地に足の付いた予報をお願いしたいものです。元々天気予報等と言うものは、刻々と移り変わる大自然を相手にして居る事なので、「これで絶対間違いない」等と言う事はあり得ない事位は、視聴者もちゃんと理解しながら視聴している訳です。天気予報に、曖昧な言葉が沢山出て来る事も、私達は知って居ります。大変に困難な仕事とは思いますが、「曖昧な表現の中にも一縷の真実を信じて」視聴して居ります。予報が外れたからと言って、余りあれこれと言い訳はして欲しくありません。頑張ってください。

必殺・・・のこと

月曜日, 6月 10th, 2013

言わずと知れた「中村主水」こと藤田まこと主演の時代劇「必殺シリーズ」の事である。大変な人気が有ると見えて、その題名も数え切れない位沢山創られているようです。が、ドラマの主軸をなす「主題」は、誰にでも解り易い所謂「勧善懲悪」の物語である。長年勤めている役所では、うだつが上がらず、何時も「おかま風の上役」に、ネチネチと虐められながらも家族の為にじっと耐えて居る主水が、一旦裏の稼業に回ると、四~五人の凄みの有る仲間と協力して、スーパーマン的な強さを発揮して、悪事の限りを尽くす奴等を「見るも鮮やかな方法で一人残らずやっつけてしまう」と言うきまりきった筋書きである。悪い奴等も、回を重ねる毎に極悪人が登場するようになり、ドラマを見て居る方でも「こんな悪い奴(地位の高そうな奴)をどうやって懲らしめるのか」という期待が膨らんできます。悪人の地位が、世間的に高くなればなるほど、悪さの度合いが強くなればなるほど、凶悪になればなるほど、この期待度も高揚して来るのです。これは、今の世相を如実に反映していると思われます。悪い事(殺人・強盗・窃盗・詐欺・横領等の刑事事件に関する事や、事前に情報を入手して地価が値上がりする事を知りながら付近一帯の土地を買い占める事等等)をして居ながら、裁判では「全てを否認して平気な顔をして居る奴等」、無免許運転・飲酒運転・等法律で固く禁止されている事を守らずに、通り掛かった人を何人もひき殺しておきながら、他人事のように平然としている奴等、の、何と多い事か。これを世界に目を向けても、同様の事が言えるのではないでしょうか。即ち「誤った自国の情報に基づいて、その情報に関しては無実で有った他国の指導者を追い詰めて政権の座から引きずり降ろして得々としていた元指導者」「他所の国の人間を何人も拉致して(させて)置きながら、平然と自国への経済援助を脅迫まがいに迫った元指導者」等、数えれば枚挙に暇が無い位である。然も、それらの全てが(国内・国外を問わず)裁判等では灰色の結論になってしまう事が如何に多い事か。見ている人達は、「イライラのしっぱなし」である。悪い事をやった奴が、うやむやな裁きでノウノウト罪を逃れて居るのである。こんな世相に嫌気をさした人達が(私を含めて)かの「中村主水」に「精神的な拠り所を求めたとしても」何等不思議な現象では無いと思うのである。現世でやれない事を、テレビの画面の中とはいえ「中村主水」は、苦労をしながらもきっぱりとやり通してくれるのだ。証拠を残さず、一人残らず、綺麗さっぱりと始末してくれるのである。うやむやが無い。灰色の決着と言うのが無いのだ。ここに「中村主水」の存在価値が有ると思えるし、今後も大いに頑張って欲しいと思うのである。仕事を終わって、中村家の門をくぐった主水が、「名物の嫁と姑」にチクリチクリと嫌味を言われながらも、何処か満足そうな表情を浮かべながら、テレビ画面を通して、観る人を癒してくれるラストシーンも、毎度の事では有るが楽しみの一つである。これからも、自分の身の周りに何か有った時は、躊躇せず、安い賃金で「中村主水」にお願いしていこうと思っております。