私はマンションの三階に住んでおります。マンションは田圃の中にポツンと建っております。エレベーターが無いので14段の階段を2回(合計28段)上り下りしているわけです。外出する時は何時もこの行程を繰り返しております。 今から丁度1年前の寒い日でした。夕方買い物から帰宅して野菜や果物を入れた買い物袋(半透明)を両手に持ってこの階段を登って来たのです。途中で何かカサカサと言う様な音が耳に聞こえましたが、北風が何かに吹き付けている音だろうぐらいに思って、別に気にも留めず三階の外廊下まで上ってきたのです。その時、ふと自分の後に何かの気配を感じて振り返ったところ、私の直ぐ後の足元に「黒い塊」が見えました。よく見るとそれがなんと何と丸々と太ったカラスだったのです。黒い羽根の艶も良く栄養も行き届いているように見えました。黒い小首をかしげてカラスが見上げているのは私が左の手に持った買い物袋でした。こちらの袋にはオレンジ・果物類や青野菜類が入れてあって、それが半透明の袋を通してカラスに見えていたものと思われます。どうやら察するところ、マンションの一階外廊下から三階まで私の後をつけて階段を登ってついて来た様です。途中でカサカサと音がしたのはカラスが階段を飛び上がる瞬間に羽根がコンクリートの土間に当たってその度にカサカサと言う音が出ていたことが分かりました。これを見て私はそのカラスがとても愛おしくなり可愛くなって「何の用だ」「何しに来たんだ」「何か欲しいのか」と思わず声を出し、何か適当な餌を上げようかと思ったのですが、テレビの報道番組等でカラスや鳩の糞公害の事を取り上げているのを思い出して、餌をやる事を思い留まってしばらくカラスを見ておりました。その後カラスは廊下の手摺の上に飛び上がり、しばらく私のほうを見ておりましたが、その内に餌を貰えないと諦めたのか飛び去っていったのです。これが私と「堪太」の初めての出会いでした。その後、私が外出して下の駐車場に止めてある自分の車の所へ来ると、何処からとも無く一羽のカラスが私の車の屋根の上に止まって、私のほうを見るようになったのです。眼と眼が合った時に私は思わず「堪太元気かい」と声をかけたりしました。相手はこれに答える筈も無く私はそのまま車に乗って出発しました。その事があってから数日後用事で自分の車の所へ来て異変がおきているのに気付いたのです。私の車はRV車で車の後部外側に予備のタイヤが取り付けてあります。このタイヤの上にカラスが一羽とまって、車の後方ワイパーを嘴で突いてワイパーの留め金とゴムを引き出しているのが見えたのです。私は急いで車の傍へ行って追っ払いましたがワイパーは使い物にならないように引きちぎられておりました。仕方なくデーラーへ行ってワイパーを取り替えてもたったのですが、こういう事がその後二~三回立て続けにおきて私はその都度車をデーラーへ持っていってワイパーを取り替えてもらいました。こんなことを繰り返していては大変だと思って私はワイパーに白いビニールで出来た筒を2本被せてカバーをしてカラスが突っつけないように防護策を講じたのです。するとその後カラスは筒の上から何度となく嘴で突いているのを目撃しましたし、前部のワイパーにも手(いや嘴)をかけたりしましたが、餌を貰えないと諦めたのか3ケ月位で来なくなりました。それでも一年過ぎた今でも時々私が外出する時に近くの電柱や電線に止まって、「か~か~」と啼いているのが聞こえ、私に呼掛けている様に思えて成りません。私は今でも内心で「あの出会いの時に餌をあげておいたら車に悪戯されずに済んだのかなあ」と思っておりますが、そんな事を知ってか知らずか、彼のカラス奴は今ものうのうと付近を飛び回っております。あれだけ悪戯されたにも拘らず私はこのカラスを何故か憎む気持になれません。一年前にヒョコヒョコと2本の足で三階まで階段を上ってついてきた時の姿を想像していつの間にか遠くで啼いているカラスに向かって「オーイ堪太元気か・・・!!」と呼掛けている自分に気が付くのです。尚「堪太」と言う名前は私が勝手につけたもので相手の承諾は得ておりませんし、それどころか迷惑がっているかも知れませんが・・・・・・。
Archive for 2月, 2008
堪太のこと
火曜日, 2月 26th, 2008確定申告で感じた事
月曜日, 2月 25th, 2008今日は毎年恒例の「確定申告」に行ってきました。毎年豊山役場の二階会議室で五人乃至六人位の係の他人が応対してくれます。が、今年は私が失敗して一度で済むところを役場までの道を三往復したのです。午前中一回、午後二回で、結局一日仕事になってしまいました。が、この間私の応対をしてくれた係の人(女性)は、嫌な顔一つしないで、最初から最後まで本当に親切に接して頂いたのです。私が高齢者である事を差し引いてもまだ余りある誠に丁寧な応対で終わって帰るときは自然と心が軽やかで弾んでおりました。ここ数年来公務員の質の低下が世間の話題になっているようですが、まだまだ捨てたものでは有りませんよ。田舎の役場での出来事とはいえ、悪名高い何処かの官庁の役員にこういう姿を拝ませてやりたい気分でした。素晴らしい人も居ることを再認識した元公務員の私でした。
タバコをヤメルと言う事
月曜日, 2月 25th, 2008先週テレビを見ていたらある芸能人(女性)が「私タバコを止めたいんだけどなかなか止められないの、誰か止める方法を教えてくれないかしら」と言う様な事を言っていたのを聞きました。これを聞いて私はかぎ【ああこの人自分がタバコを本当に止めようと言う気になっていない事に気付いていないな】と直感したのです。タバコを止めるのはその人自身であって他人がそうする訳ではありません。本当に止める気が有るのならば黙って自分で決心して吸わなければいいことです。何かに頼って、或いは誰かに何かしてもらって止めるものでもないでしょう。増してや薬の影響力を借りて止めるなどは愚のコッチョです。ニコチン中毒は一種の病気でしょう。麻薬は法律で禁じられているがタバコを吸う事は自由です。近年になって喫煙の害が大きく叫ばれる様になったものの、以前は誰もタバコが人体に悪影響があるなどとは考えもしなかったことです。自由に買ってきて自由に吸っていたのです。ところがここに「ニコチン中毒」と言う厄介な事が発生してなかなか止められなくなる。タバコを止めるという事はこの病気との壮絶な闘いなのです。誰かに何かしてもらって、何かに頼って楽して止められるようなそんな生易しいもではありません。止めようと思い立ったならば「自分はタバコを止める決心をしたんだ」と言う事を先ずはっきりと自分自身で認識することです。この認識こそが最大の味方です。この認識が無いままにいくら止める動作をしてもそれは長続きはしません。「吸いたい」と言う欲望に負けてしまって又吸い始めるのです。この認識の無い人に、誰かが何かを助言や指導をしたとしても、その人は結局タバコを止められずに、「あの人が言った通りにしたけど止められなかったわ」と、他人のせいで自分がタバコを止められなかったと勝手に納得してしまうのが落ちです。本当にタバコを止めると決心したのなら、その瞬間から一切タバコを手にしないことです。これは壮絶な闘いなのです。やめると言う事に集中して止めるのです。他人や他の何かに頼ってはいけません。自分が自分自身の強固な意志でタバコを止めるのです。そういう意味で私は「タバコを止める事を禁煙と言う言葉で表現する」事がそもそも可笑しいと思います。自分が自分の意志で止めるのですから、「禁煙」ではなく「絶煙」又は「断煙」が妥当だと思うのです。私はタバコを止めて30年近くになりました。これからタバコを止めようと思っている人は、この「自分がタバコを止める決心をしたんだと言うハッキリとした認識を持つ事」から始められたら如何でしょうか。以上テレビ出演者の一言について感じたことを書いてみました。