燕のこと2

6月 10th, 2008

002-110.jpg先週土曜日にウォーキングから帰ってきて、整理運動中に微かな鳴き声の様な音を耳にして、ふと燕の巣を見上げたところ、巣の縁にとまった一羽の燕の正面巣の中に、大きく開かれた嘴が三つ見えてそこから泣き声が聞こえて来たのが分かったのです。縁にとまっていたのは親鳥で生まれたばかりの雛が餌を催促して鳴き声を上げている事が分かりました。私の気配に気付いた親鳥はすぐ巣から飛び去って居なくなりました。巣の中に残された雛鳥は、親に云い付けられたのか、物音一つ立てずに巣の中は静まり返っております。外敵から身を守る術を既に親から教えてもらっているようです。後何日かすればこの雛鳥は巣立つことになるでしょう。そして夏が終わるころには親鳥と一緒に遠い南の島へ旅立って行くのです。巣の下のコンクリート土間には燕の糞が丸い輪を描いて溜まっています。不思議な事に、駐車場に留めてある車のうちで、車体の色が白っぽい車だけが時々糞公害に見舞われることに気付きました。それ以外の色の車に、燕の糞が掛かっていたところを見た事が有りませんし、持ち主の方に尋ねても、鳥の糞がくっついていたことは一度も無いそうです。何か訳が有るのでしょうか。私の疑問を知ってかしらずか、親鳥はせっせと餌を運んで来ますが、人の気配がすると決して巣に近づこうとはしませんし、巣の中の雛達も、鳴き声一つ上げません。見事な連携プレーです。燕の巣の写真を入れてみました。次は親鳥が雛鳥に餌を与えている所を動画で撮ってみようと思っております。

燕のこと

5月 11th, 2008

私の住んでいるマンションの一階東側には、万一の場合に備えての消防車の活動区域として一定のスペースが設けてあります。私が日課のウォーキングを終えて帰ってきた後、このスペースの側でクールダウンの体操をします。毎年の事ですが、春先になるとこのスペースのマンションの天井を支える梁の一角に燕が巣を作って雛を育てるのです。今年も例年通りに燕がやって来て何やら忙しく出入りしております。間もなく卵を産みつけ雛が孵るはずです。私が不思議に思うのは、こうしてやって来る燕は「去年ここの巣で育った子供なのか」それとも「去年ここで卵を産んで雛を孵した親鳥なのか」という事なのです。もしこれが去年生まれ育った子供だったら親は何処へ行ったんだろうか、もしこれが去年と同じ親鳥だったら去年生まれって巣立ったはずの子供は何処へ行ったんだろうか、という疑問です。聞くところによると燕は日本が秋を迎えて寒くなる直前に日本を離れて遠い南の島で越冬して来年春先の気候が暖かくなるころにまた日本に戻ってくるという事ですが、何千キロも離れた遠い南の島から一年もたった後に迷わずにこの愛知県の豊山町へ戻って来ると言う事実も不思議でなりません。中国大陸や朝鮮半島へ行ったとしても不思議ではないのに、と思えて仕方ありません。私がここに住み始めて既に十一年の歳月が流れておりますが、燕は毎年帰ってきます。そして必ず卵を産み雛が孵って巣立っていきます。名札を下げている訳でもないので子供の燕なのか親燕なのかさっぱり判らないのです。この先何年間かこの疑問と同居しつつ親鳥か子供の鳥かを確かめる術もなく過ごしていくのでしょう。そして私も年を重ねていくのです。誰かこの不思議を教えてくれませんか?燕の事でもう一つ気付いた事が有ります。一階のコンクリート土間からツバメの巣までの高さは約3m弱位です。二羽の燕が交代交代で巣に出入りしているのですが、私が近づくとどちらの燕も巣の側まで飛んではくるのですが、絶対に巣にとまろうとはしないのです。どうやら近くに居る私に巣の存在を知られたくないようです。その証拠に、私が側のコンクリートの柱に身を隠すとスーッと飛んで来て巣にとまるのです。親代々から備わった防御本能なんでしょうかねえ。でも、私が巣の存在を数年前から知っている事と、この燕の必死の努力を考え合わせて見ると、何だか滑稽にも思えますけど・・・・・。

携帯電話のこと

3月 11th, 2008

久し振りにパソコンやテレビ等を売っている大掛かりな電気店へ行ってきました。入り口を入って驚いたのは売り場面積の広さと展示商品の多さでした。店の客が迷わないように各コーナー毎に売り場を説明する案内板が天井から吊り下げて有りますが、その説明の文字がカタカナ文字が多くていちいちパソコン辞書を見ないと分からない様な言葉が書いて有ったりします。時代が代ってるんだなあとつくづく思います。さて入り口正面には携帯電話のコーナーがあって、各メーカー毎に様々な機種が所狭しと展示してあり、夫々に舌を噛みそうな名前が付けて有ります。驚いたのはその種類の多いこと、正に百花繚乱と言った感じです。我々の感覚では電話といえば相手から架かって来た声に応答する、必要が有れば相手に架ける。それだけで充分だったのが、今では何処からでも何処へでも架けられるのです。道路を歩きながら大声で喋っている人も居ます。手紙の様にメールが送れる。それも何処からでも送れて何処に居ても受けられる。歩きながらでも操作できてしまう。最近では交通機関でも、携帯電話を或る特殊な機械にかざすだけで、切符なしで乗り降りが出来てしまうし、買い物だって同じように携帯電話だけで決済が可能になる店が出現しております。こんなに便利になって好いのかしら、と思えるほど最近の携帯電話は目覚しい発展をしているようです。それにつれて今までには無かった特殊な犯罪も増えているようです。こんなにまでして利便性を追求する必要が有るのだろうかと思わず考えさせられてしまいます。その理由を考えてみると、大衆の要求の遥か先を突っ走っているように思えてなりません。背景にあるのはメーカー間の熾烈な販売合戦ではないでしょうか。少しでも他社には無い機能を持った機種を作って少しでも早く売りに出す。これがイタチゴッコになって次から次へと新しい機種が生まれてくるものと思われます。使う側としては便利になって結構な事ですが、果てさて、この競争、いったい何処まで続くのでしょうか。際限が無いようですが・・・・・。その内に、携帯電話を持っていれば何も食べなくても生きて行ける時代が来るかもしれませんね。