ビジネスクラスのこと

1月 31st, 2009
搭乗してシートに座った直後で少々緊張気味です

搭乗してシートに座った直後で少々緊張気味です

1月13日から息子のプレゼントでハワイ旅行に行ってきました。普通の旅行だと思っていましたが此れが何と飛行機が「ビジネスクラス」の旅だったのです。今までに何度か海外旅行には行きましたが、何れの時も病気の代名詞にもなっている所謂「エコノミークラス」での旅でした。横三列並びの幅の狭い座席に押し込められて、左右ばかりか前後の人にも気を使いながら窮屈な時間を強いられて我慢して乗っておりました。特に嫌だったのは食事時間でした。狭いテーブルに隙間もないくらいに食器が並べられて、胡坐を組むどころか座席とテーブルに固定された狭い空間で窮屈な姿勢のまま食べる訳です。けっして楽しい食事時間とは言えませんでした。ところが、今回は「ビジネスクラス」での旅でした。座席の幅が広く、横二列で通路も広く前後の間隔もゆったりとした空間が採ってあり、シートのリクライニングは勿論、足を乗せる台までが上下に調節できて、しかも前後にスライドするのです。各座席にはテレビや映画が見られるモニター設備が取り付けてあり好きなときに好きな映画やテレビを楽しむことが出来ます。テーブルも中折れ式の幅の広いもので食器類も楽に置けましたし、出される食事や飲み物も「エコノミークラス」とは違っていたようですし、何よりも機内添乗員が「膝を折って下から私を見上げながら話しかけてくれる」のが印象的でした。しかも、離着陸時以外なら何時でも飲食の注文が出来るということでした。又待合室はこれまた全く別格で、一般の人の待合室より別の所に「ビジネスクラス専用ラウンジ」というのがあって「ビジネスクラスの乗客はここでゆっくり休憩が出来るのです。ラウンジでの飲食は軽食ですがどれだけとっても無料です。今までこんな場所が有る事すら知らないでいたのですが、今回図らずも息子の好意でその一端を垣間見ることが出来たのです。お金と権力の有る人は私達の想像を遥かに超えたところで優雅な時間を過ごしているんだなあとしみじみ感じ入った次第です。旅の内容については別の機会に譲ります。

闘病中の流行歌手のステージ姿のこと

1月 4th, 2009

数年前から闘病中の流行歌手がテレビや舞台で人前に出て歌っているのを見かけるようになりました。そしてインタビューでその演出の狙いを聞かれて彼等(彼女等)は申し合わせたように「病気になっても頑張ってる自分の姿を見て一人でも多くの人に勇気を与えられたら・・・と考えてやりました」と言う様なコメントを出しております。その趣旨には何等意義を申し上げる心算は有りませんが、私が気になるのは「その事を企画する闘病の時期」の事です。流行歌手と言えば「世の中に夢を売る仕事をする人」と考えます。映画俳優等の芸能人と同じように・・・。素敵な表情で綺麗なステージ衣装を着てにこやかに満面の笑みを浮かべて(時には涙さえ見せながら)見ている人達にすばらしい歌声を聞かせてくれる。之が私の流行歌手に対するイメージなのです。それが前記のような理由で「誰が見ても此の人はそう長くは生きられないだろう」と思われる様な姿を人前に出して、元気な時には及ぶべくも無い衰えた声量で持ち歌を歌うのです。私はこう言う姿を見ると「よし俺も頑張ろう」などと言う気には到底なりません。むしろ「あんなに素敵だった人がこんなになっちゃって・・・」と、なんともいえない哀れみの気持ちしか湧いてこないのです。その人の過去が素晴らしければ素晴しいほど、此の感情は強くなってきます。同時に「あんなにお金を稼いでいたであろうと思われる人でも、こんな姿になってしまうんだからよっぽど悪い病気なんだろう」と思ってしまうのです。つまり企画者の趣旨や目的とはぜんぜん反対の結果しか残っていないのです。此の現象は何処にあるのかと考えた時に、私は「その事を企画する闘病期間の時期・タイミング」に問題があると考えます。誰が見ても「えツ!あの人は病気だったの」「それにしては良くやったね」と言われる位のタイミングでやって欲しいと思うのです。世の中に夢を送り続ける仕事をしている流行歌手の人達だからこそ敢えて言わせて貰いました。プロとしてお金をとって自分の技を聞かせる(見せる)事によって私達に夢を与える商売なんですから、あまり哀れな格好を私達の前にさらさないでいて欲しいのです。私達に最後まで綺麗な夢を抱かせたままで終わって欲しいのです。「原節子」「山口百恵」「石原裕次郎」「美空ひばり」「松田優作」「三船敏郎」「上原兼」、これ等の人達の「老いさらばえて痩せ細った力のない姿や声を永久に観たり聞いたりする事がない」のと同じように。私達に夢を与え続けて下さい。どうしても前記のような事がやりたくなった時は「そのタイミングを良く考えてから実行して欲しい」と思うのです。何故なら、あなた達は世の中に夢を送り続けていく人達なんですから・・・・・!!。

伊達公子の優勝のこと

12月 24th, 2008

二ヶ月以上前の話だが、日本プロテニス界に、「それまで第一線を退いていた伊達公子選手が16年振りに復帰してきて、日本国内の女子プロテニスの大会で優勝した」事が大々的に報じられ、同選手の肉体的な堅固さやプレーヤーとしての精神面の頑丈さや試合に対する取り組み方や考え方が如何に素晴らしいものであったか等の記事が新聞やテレビのニュース面に踊っていたのを思い出して奇異な感じに襲われた事がある。先ず真っ先に頭に浮かんだ事は「此の十六年間他の女子プロテニスの選手は何をしていたんだろうか」と言う疑問だった。十六年と言えば大変な年月である。この間にトレーニングの方法や理論やそれに使用される各種の器具類等は飛躍的に進歩している筈である。これらを駆使して練習している筈の現役の選手達は、十六年前に活躍していた伊達選手よりも遥かに上の技術を身に着けていて、久し振りに復帰してきた年老いた選手など相手にならないほどの技量を見せてくれるものと思っていたのだが、結果は前記の如く誰一人伊達選手に勝った者は居なかったのである。此の事から考えて私うは、この事実は今のわが国のスポーツ界のある一面を如実に描き出しているように思えたのである。事テニスに限らずゴルフや野球やサッカーや相撲やバレー等等・・・、立派な設備の整った練習場で大勢の報道陣に囲まれながらカメラが自分に向いている時だけ形ばかりの練習らしきことを少しだけやって誤魔化す。一寸設備が悪かったり道具の具合が悪かったりするともう身を入れた練習をしない、サボる、少しルックスやスタイルがいいと直ぐにマスコミの話題になって本来やるべき筈の猛練習を避けて、素人相手のゲームをやってそこで所謂「プロの技」なるものを垣間見せて拍手を浴びて慢心して次の練習はそっちのけになってしまう。この様な現象がいたるところで起きているのではないかと思えるのです。勿論伊達選手のテクニックの良さや素質や持って生まれた強靭な肉体的な条件などがあいまっての優勝であることは間違い無いのだが、それにしても他の選手の不甲斐無さやだらしなさが浮き彫りになったような気がしてならないのだ。日本選手と外国の選手を比較して何時も言われることの一つに「精神面の弱さ」が上げられる。海外での試合やここ一番と言う大一番に最大の実力を発揮できるような選手よ、一刻も早く出でよ!!指導者は技術面はもとより精神面の強化をより重視して日本のプロスポーツ界の発展に尽力してもらいたい。選手も此の事を自覚して、素人に出来ない「業を根性を」心行くまで楽しませてくれる所謂アスリートとしての一流プレーを見せて欲しいのである。伊達選手の優勝に関して感じたことを書いて見ました。