数年前から闘病中の流行歌手がテレビや舞台で人前に出て歌っているのを見かけるようになりました。そしてインタビューでその演出の狙いを聞かれて彼等(彼女等)は申し合わせたように「病気になっても頑張ってる自分の姿を見て一人でも多くの人に勇気を与えられたら・・・と考えてやりました」と言う様なコメントを出しております。その趣旨には何等意義を申し上げる心算は有りませんが、私が気になるのは「その事を企画する闘病の時期」の事です。流行歌手と言えば「世の中に夢を売る仕事をする人」と考えます。映画俳優等の芸能人と同じように・・・。素敵な表情で綺麗なステージ衣装を着てにこやかに満面の笑みを浮かべて(時には涙さえ見せながら)見ている人達にすばらしい歌声を聞かせてくれる。之が私の流行歌手に対するイメージなのです。それが前記のような理由で「誰が見ても此の人はそう長くは生きられないだろう」と思われる様な姿を人前に出して、元気な時には及ぶべくも無い衰えた声量で持ち歌を歌うのです。私はこう言う姿を見ると「よし俺も頑張ろう」などと言う気には到底なりません。むしろ「あんなに素敵だった人がこんなになっちゃって・・・」と、なんともいえない哀れみの気持ちしか湧いてこないのです。その人の過去が素晴らしければ素晴しいほど、此の感情は強くなってきます。同時に「あんなにお金を稼いでいたであろうと思われる人でも、こんな姿になってしまうんだからよっぽど悪い病気なんだろう」と思ってしまうのです。つまり企画者の趣旨や目的とはぜんぜん反対の結果しか残っていないのです。此の現象は何処にあるのかと考えた時に、私は「その事を企画する闘病期間の時期・タイミング」に問題があると考えます。誰が見ても「えツ!あの人は病気だったの」「それにしては良くやったね」と言われる位のタイミングでやって欲しいと思うのです。世の中に夢を送り続ける仕事をしている流行歌手の人達だからこそ敢えて言わせて貰いました。プロとしてお金をとって自分の技を聞かせる(見せる)事によって私達に夢を与える商売なんですから、あまり哀れな格好を私達の前にさらさないでいて欲しいのです。私達に最後まで綺麗な夢を抱かせたままで終わって欲しいのです。「原節子」「山口百恵」「石原裕次郎」「美空ひばり」「松田優作」「三船敏郎」「上原兼」、これ等の人達の「老いさらばえて痩せ細った力のない姿や声を永久に観たり聞いたりする事がない」のと同じように。私達に夢を与え続けて下さい。どうしても前記のような事がやりたくなった時は「そのタイミングを良く考えてから実行して欲しい」と思うのです。何故なら、あなた達は世の中に夢を送り続けていく人達なんですから・・・・・!!。