伊達公子の優勝のこと

二ヶ月以上前の話だが、日本プロテニス界に、「それまで第一線を退いていた伊達公子選手が16年振りに復帰してきて、日本国内の女子プロテニスの大会で優勝した」事が大々的に報じられ、同選手の肉体的な堅固さやプレーヤーとしての精神面の頑丈さや試合に対する取り組み方や考え方が如何に素晴らしいものであったか等の記事が新聞やテレビのニュース面に踊っていたのを思い出して奇異な感じに襲われた事がある。先ず真っ先に頭に浮かんだ事は「此の十六年間他の女子プロテニスの選手は何をしていたんだろうか」と言う疑問だった。十六年と言えば大変な年月である。この間にトレーニングの方法や理論やそれに使用される各種の器具類等は飛躍的に進歩している筈である。これらを駆使して練習している筈の現役の選手達は、十六年前に活躍していた伊達選手よりも遥かに上の技術を身に着けていて、久し振りに復帰してきた年老いた選手など相手にならないほどの技量を見せてくれるものと思っていたのだが、結果は前記の如く誰一人伊達選手に勝った者は居なかったのである。此の事から考えて私うは、この事実は今のわが国のスポーツ界のある一面を如実に描き出しているように思えたのである。事テニスに限らずゴルフや野球やサッカーや相撲やバレー等等・・・、立派な設備の整った練習場で大勢の報道陣に囲まれながらカメラが自分に向いている時だけ形ばかりの練習らしきことを少しだけやって誤魔化す。一寸設備が悪かったり道具の具合が悪かったりするともう身を入れた練習をしない、サボる、少しルックスやスタイルがいいと直ぐにマスコミの話題になって本来やるべき筈の猛練習を避けて、素人相手のゲームをやってそこで所謂「プロの技」なるものを垣間見せて拍手を浴びて慢心して次の練習はそっちのけになってしまう。この様な現象がいたるところで起きているのではないかと思えるのです。勿論伊達選手のテクニックの良さや素質や持って生まれた強靭な肉体的な条件などがあいまっての優勝であることは間違い無いのだが、それにしても他の選手の不甲斐無さやだらしなさが浮き彫りになったような気がしてならないのだ。日本選手と外国の選手を比較して何時も言われることの一つに「精神面の弱さ」が上げられる。海外での試合やここ一番と言う大一番に最大の実力を発揮できるような選手よ、一刻も早く出でよ!!指導者は技術面はもとより精神面の強化をより重視して日本のプロスポーツ界の発展に尽力してもらいたい。選手も此の事を自覚して、素人に出来ない「業を根性を」心行くまで楽しませてくれる所謂アスリートとしての一流プレーを見せて欲しいのである。伊達選手の優勝に関して感じたことを書いて見ました。

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