去年から「時代劇専門チャンネル」なるテレビを見る様になった。朝から晩まで放送される番組はすべて「日本の時代劇」で有ります。中には新しい物もありますが、殆どは過去に放送されたものです。今テレビや映画等で主役を張って活躍している人達の若い頃の映像が出てきたり、既に故人と成られた有名な俳優さん達もどんどん出て来て、自分の若い頃の思い出と重なったりしてそれなりに楽しい時間を満喫して居りますが、最近「気になる場面」を良く見かけます。それは「製作年代の比較的若い時代劇」に良く見かけるシーンです。屋内屋外を問わず、女の人が歩いていて、全くの通りすがりに「死んだ人」や「大怪我をした人」又は「血まみれになって倒れている人」等を見かけた時に、辺り憚らず「キャーっ」と大声を上げて叫ぶシーンです。すると「付近を歩いていた主役の武士がこの声に気付いて、いきなり走り出す」というもの。近くで有ればいざ知らず、人里離れた山道や田舎の道路、或いは寝静まった繁華街の街路、等色々な場面で良く見かけるシーンです。外国の映画を見ると、こんなシーンは昔から「当たり前」のようにして私達の目に飛び込んでいたシーンですが、日本の映画では以前はあまり見掛けなかった様に思うのです。時代を遡れば遡るほど「女性が大声を上げて人前で泣いたり或いは叫ぶ」と言った様な事は、あまりなされていなかったように思えるのです。主役の俳優も「悲鳴を一度聞いただけで」どの方角かを見極めて駆け出していく訳ですが、その速さと言ったらコンピューターも顔負けの感が有ります。日本文化の基本は「恥じらいの文化」と極言する人が居る位、日本人は人の前で大声を上げたり色々な動作をしたりする事を「はしたない」等といった言葉で避けてきたはずです。特にこの傾向は女性に強かった様にに思われます。にも拘らず、最近の時代劇でこういうシーンがまかり通っていると言う事は、戦後急速に入り込んできた海外文化の影響なのでしょうか。魚や動物や昆虫や草木に至るまで「外来種に征服されて絶滅危惧種に指定された日本古来の草木や生き物達」が多数に上っている現状で「時代劇の中の女性の悲鳴」を視聴する時、「昔の風情を漂わせた本当の意味での時代劇」も「絶滅危惧種」にならない事を祈るばかりで有ります。
時代劇で気になること
2月 2nd, 2013続社長漫遊記のこと
10月 23rd, 2012テレビの「日本映画専門チャンネル」で、何十年振りかで見出しの「続社長漫遊記」なる映画を見た。私が20歳代の前半ごろに大ヒットした東宝映画の代表作の一つだ。人気が有って沢山のシリーズ作が創られた映画でもある。主な出演者は「森重久弥・久慈あさみ・加藤大介・草笛光子・三木のりへい・小林圭樹・フランキー境」等そうそうたるメンバーだ。話の筋は大体似かよっていて、染料を扱う会社の社長である主演の森重久弥が、会社の仕事にかこつけて沢山の女性と浮気?をしようとするのだが、その都度、肝心の処で邪魔が入りそれが出来ないまま、社長夫人の久慈あさみにとっちめられて、のらりくらりと言い逃れをしたりする、コミカルな喜劇である。現在の世相だったら間違いなく「セクハラ騒ぎ」になりそうなセリフや仕草が随所に設定されていて、観客が思わずにやりとしてしまう場面が沢山用意されているのだ。前記の出演者の中には、既に故人となられた方々もあり、懐かしさと相まって三時間近くかかった映画をアッつと言う間に見終わった感がしたのを覚えている。振り返ってみて、最近の世相が、当時と比べてあまりにも「ギスギス」していないかと感じさせられた一時でも有った。ちょっとした事を捉えて直ぐ「訴訟沙汰」に持ち込む傾向や、親子が反目しあったり、せっかく一緒になった夫婦が、何のためらいもなく離婚したりする世の中。親が子を、子が親を、夫が妻を、妻が夫を、様々な理由で殺し合う事件が余りにも多すぎないか。懐かしい映画を見た後で、当時の世相の「大らかさ」が垣間見えて思わず「あの頃は良かったなあ」と、一人で懐かしく懐古の情に浸った一時でも有った。
必勝祈願のこと
9月 12th, 2012プロ野球もシーズンの終盤を迎え、どこの球場でも、試合・応援共に熱を帯びてきた感が有ります。中にはリーグ優勝を表すマジックなるものを盛んに取り上げられて騒がれているチームがあるかと思えば、今年も「最下位ほぼ確定」と言われて低迷している球団もあります。チームを統括する球団オーナーを始め監督、コーチ、その他大勢のプロ野球関係者のご苦労もヒトシオだと推察しているところです。さて、ここで不思議なのが見出しに書いた「必勝祈願」なるセレモニーの事です。毎年どの球団も練習のためのキャンプを張ります。寒い日本を脱出して海外で練習する球団もあれば、国内の温暖な地方へ移動してキャンプする球団もあります。面白いことに、どの球団もキャンプ地の近くにある神社などへ出向いて監督以下ほとんどの選手が参列して柏手を打って参拝します。記者団のインタビューにはどの球団も口を揃えて「狙うは優勝です」「Aクラス入りを狙います」「選手の健康を祈ります」等と威勢のいい返事が返ってきます。さてシーズン終盤を迎えた今、毎日報道されるプロ野球の「勝敗表」を見てみると、勝ち数と負け数が全く逆になっている球団が有ります。同じように「必勝祈願」をしているのに、開幕以来五ヶ月経った今、何故にこんなにも差がついたのでしょうか。勝っている球団は「必勝祈願」なるセレモニーのご利益があったと思われますが、負け数の多い球団のご利益はどうなってしまったのだろうと思わずには居れません。勝ってる球団は「お供え物が多かったのか」とか、負けてる球団は「お供え物が少なかったのか」「お参りしていた球団関係者の中に真剣にお参りしていなかった人が居たのでは」等と勘ぐりたくもなってきます。色々な情報が飛び交う昨近、勝敗の予想もかなりの確率で的中するようになってきました。これらの予想の中に、「飛翔祈願」のやり方が拙かったとか、逆に「必勝祈願」のやり方が良かったとか言う理由を上げる解説者は一人もおりません。予想の裏付けになるのはほとんどが「選手の実力」や「経歴」「体力」「チームとしての纏まりの良さ」「監督の手腕」「親会社の経営方針」など等です。そしてその予想は大体的中します。特に「最下位チーム」と「優勝チーム」の予想は確率が高い様です。それならば、あの毎年恒例となっている各球団の「必勝祈願」なるセレモニー(敢えてセレモニーと言わせてもらいます)は取り止めたらどうなんでしょうか。このセレモニーに要する費用や時間を、選手の育成等の他の方へ回したらどうでしょう。弱小球団は、特にお金を使っていい選手を沢山とって来季に備えるとか。プロ野球の勝敗表を眺めながら、ふとコンナ事を考えたりしました。でも、これは、良く良く考えてみると、何もプロ野球の世界のことだけではありませんでしたね。私達個人の日常生活にも同じ事が当てはまるんでしたね。年寄りがコンナ事を考えて暮らしていける日本はそれだけ平和な国なんだと感心したりして・・・。