私の住んでいるマンションの周囲は殆どが田んぼです。その為に日課にしているウォーキングは田んぼの間に造られた所謂「農道」を通るわけです。「農道」と言っても昔と違って全て全面舗装ですので、歩くのに不便は感じません。その「農道」の両脇に今、稲刈りを待つばかりの黄金色に色付いた稲穂の姿が一面に広がっております。しかも稲穂は申し合わせた様に頭をたれてオジギをしている様に見えるのです。この風景を見ながら私は若い頃を思い出します。良く先輩や先生、時には親からも「実れば実るほど頭を下げる稲穂の様な立派な人間になれ」と言う様な言葉を何度となく聞かされたことが有りました。幸いにして私は頭を低くしなければならないような「偉い人」にならずにすんだのですが。さてこの言葉!!。尤もらしく聞こえますが、考えて見ると可笑しいですね。稲穂が頭を下げるのは(頭を下げている様に見えるのは)誰かに感謝してその気持ちを表す為にそうしているのではなくて単なる「重力の作用に従っている」だけなんでしょう。稲穂自身の意志の力で頭を垂れている訳ではないですよね。自分は実ってきたから、人間が自分を手本にしているから頭を低くしなければいけないんだ、と考えてそうしている訳ではないですよね。ただただ米の実が実ってきて重たくなってきたのでその重さに耐え切れずに穂先を下げているだけなんでしょう。為政者が国を治める時、色々なことを国民に周知徹底させて、国民をある一定の方向に向かわせようと考える訳ですが、稲穂はその例えの道具に使われただけの事ですよね。たわわに実って稲刈りを待つだけの稲穂の姿を見てふと気付いた事を書いて見ました。昔の稲穂達はさぞや窮屈だったのではないでしょうか。自分の知らない所で勝手に人間のお手本に祭り上げられて・・・。やりたい事もやらず、ただただ品行方正にして我が身を律して、実った穂先を垂れ続けていた昔の稲穂達。どうかゆっくり休んでください。