コンテ絵画のこと

2月 24th, 2014

SANYO DIGITAL CAMERA今年私の所に届いた年賀状の中に、一寸変わった内容の年賀状が有りました。本文の方に「映画・哀愁」のスチール写真(実際は写真では有りません)が張り付けて有り、懐かしい往年の大スター(ヴィヴィアン・リーとロバートテイラー)が抱擁している画面(白黒画)が有ったのです。そして画面下の余白に(謹賀新年 平成26年元旦 2月18~23日「名古屋市民ギャラリー栄」の作品展で御待ち致します。と書いて有りました。表の差出人は、私のかっての職場同期生で「M.I」さんでした。去年の暮に、久し振りに「同期生会」が招集されて、懐かしい面々が一堂に会して旧交を温め合ったのですが、その席で、「M・I」さんが絵画の講師をしている事を聞いて居たので、賀状の本分の「写真」を見た時に直ぐ分ったのです。この同期生会で初めて「コンテ絵画」と言う耳慣れない言葉を耳にしたのです。ネットで調べたところ、コンテとは「画材でクレヨンの一種。顔料と粘土等を粘着剤で四角柱に固めたもの。パステルに似ているが、折れにくく絵画の下絵(デッサン)等に多く用いられる。1795年フランスの軍人で画家だった「ニコラ・ジャック・コンテ」が発明したもの」と有りました。正月も過ぎて二月になり、自分の趣味行事に追われて暮らしているうちに、ふと「写真入りの年賀状」の事を思い出して日時を確認したところ「23日迄」になって居る事に気付いて、2月21日に慌てて「名古屋市民ギャラリー栄」8Fへ行って来ました。何箇所か有る展示室の一つにその会場が有りました。中に入って直ぐ「M・I」さんの姿が有りました。中折れ帽をかぶったダンディーな姿です。職場の学校時代から同僚や先輩達の似顔絵を描いては皆を喜ばせて居た頃と少しも変わって居ません。元気な姿です。展示室の仕切り壁一面に張り付けられた作品を見て回りました。この間「M・I]さんは丁寧に解説をして下さいました。数えはしませんでしたが、大勢のお弟子さんの作品に混じって「M・I]さんの作品も「五枚」展示されて有りました。今を時めくニュースキャスターや名古屋駅のツインタワー・NHKあさいちのテレビキャスター・それに「他界した同期生Hさんの顔)等等、我々素人目で見ても、この五枚の作品は、他の作品と比較して、正に「別格」と一目で解るほど素晴らしい出来栄えでした。描かれた人物の髪の毛や皮膚の感じ、更には「目」の様子等見て居ると「今にも瞬きをするのではないか」「お喋りしてくれるのでは?」等と思えるほど、生きてる人物そのままであると感じられたのです。人が一つの事に傾注してそれをやり遂げると言う事の素晴らしさ、偉大さを心行くまで堪能したひと時でした。「M・I」さんの飾り気のない人懐っこい姿に接して「ああ、この人は、心の底からコンテ絵画を愛して居るんだ、生甲斐なんだな」と言う事が手に採るように理解できました。そして、生きて行く事の素晴らしさを痛いほど感じ取れたひと時でした。来年は個展を開く予定だそうです。またぜひ見に行って、再び、この感動に浸って見たい、と、今から楽しみです。

年賀状のこと

1月 15th, 2014

年賀状画像-web毎年の事ですが、今年も沢山の年賀状を頂きました。身内からのもの、親しくしている人からのもの、そんなに親しい間柄では無いけど、過去の経緯から年に一度の挨拶賀状の様な人からのもの、さまざまです。通信欄の構成も色々で、手書きあり、印刷有り、写真ありです。書かれている文字も、これまた色々です。毛筆、ボールペン文字、筆ペン文字、パソコン等の印刷文字、市販の印刷された文字、夫々に個性が有る様な、無い様な感じです。又、差出人の名前も、御自身の単名でくる人、御夫婦連名の人、中には差出人名を書き忘れている人、等等、これまたさまざまです。さて、この年賀状、毎年、年の瀬が迫ってくると、郵便局が「12月25日頃までに投函して貰えば元日に配達致します」と、広報を繰り広げます。これも年末の風物詩の様な風景です。私も、この広報に従って「毎年12月25日頃までに投函」して居ります。ですから、私の出した年賀状は、「必ず翌月の元旦」には相手方に届けられている筈です(確認した事は一度も有りませんが・・・)。年賀状が自宅へ配達される日もこれまたさまざまです。一番多いのはやはり元旦です。自分が出した相手の人の約九割近くの人が、元旦に届けてくれます。それからは急に届けられる枚数が減って来ます。そして1月の7乃至8日頃までで年賀状も終了です。この頃には、家々に飾られた「松飾や門松」等のお飾りも取り払われてしまいます。これ等の風景も例年通りです。ところで、私が数十年前から年賀状のやり取りをしている人の中に、「年賀状を12月に書くなんて馬鹿げた事はすべきではない、年賀状は必ず元旦か遅くとも3日までの内に書きあげて投函すべきものだ」と言ってそれを実行して居る人が有ります。その人は、毎年、元旦の清々しい空気の中で墨を摺り、新しくおろしたての筆を使って文字を書くんだそうです。素晴らしく見事で流麗な草書文字で、かの有名な「紫式部もこの様な人だったのでは?」と思わせる様な教養と風情の有る女性です。この人の年賀状に対する考え方を思う時、私は何時も、「元旦に届ける事を主眼にして投函すべきか、それとも、少々配達が遅れても、元旦に書いた年賀状を投函して相手に読んで貰うべきか」で迷いながらも、今までは「元旦配達」にこだわって投函を続けてきました。今後如何するかについてもまだ決めては居りませんが、さて、皆さんは「元旦配達派?それとも元旦書初め派?」生活のテンポが目まぐるしい昨今の世相を思う時、元旦配達派の方が理に適っている様にも思えるんですけど???整理を終わった今年の年賀状の束を見ながら、ふと考えた事を書いてみました。

詩吟動画のこと-2

1月 14th, 2014

高蔵寺教室の山崎さんの詩吟動画をもう一枚貼り付けました。吟題は「出郷の作」(佐野竹之助)です。声量の豊かな山崎さんの吟を聞いて下さい。

外郎売りのこと

1月 14th, 2014

珍しい「外郎売りの口上」吟を貼り付けました。演者は高蔵寺教室の山崎さんです。ここまで覚えるのに三カ月を要したそうです。途中に出てくる「早口言葉」も注目です。真剣な演者の表情にご注目下さい。

招待吟の動画のこと

1月 8th, 2014

数年前に、名古屋市内の詩吟の会に招待されて、吟じた時の姿を録画してもらいました。手持ちのカメラで撮影したので、画面が揺れる箇所が有りますが、声の方は普通に録音されているようです。吟題は「宮沢賢治のアメニモマケズ」です。画面中央の再生ボタンをクリックして下さい。

友達の詩吟動画のこと

1月 8th, 2014

詩吟を通じて交流が深まった「友達の詩吟動画」を貼り付けて見ました。素晴らしい声量の持ち主です。先が楽しみです。吟題は「城 山(西 道僊)」です。教室で練習中のところを録画しました。画面中央の再生ボタンをクリックして下さい。

詩吟のサウンドアニメのこと

1月 8th, 2014

詩吟に関係有る処を旅して撮影した写真と、詩吟のサウンドを組み合わせて「詩吟のアニメーション」を作りましたのでブログに張り付けて見ました。画面中央の再生ボタンをクリックして下さい。吟題は「九月十三夜陣中の作」で、戦国武将の上杉謙信が創った有名な漢詩(七言絶句)です。

日記帳のこと

1月 6th, 2014

毎年、年末から新年にかけて、新しく取り換えるものの一つに、「日記帳」(手帳を含む)が有りまnikkityou-2す。取り換えたばかりの頃は、紙の匂いもすがすがしく、書き込む文字も丁寧に、文章もよく考えながら書き込んで居りますが、日月が重なって行く内に、何時の間にか、文字も文章も粗雑になって行くのが例年の習慣の様です。そして一年が過ぎて、新しい年が近づいてくる頃には、日記帳の表紙も、中身の頁も大分クタビレタ様子になって、中に書いてある文字や文章に至っては、新年の頃の面影が影を顰めて、かなり、なおざりになっている部分が目立ちます。それでも、いつの間にか、この手帳が使い慣れて、愛着を感じるほどになっており、途中で止めもせず、何とか一年間通して書き続けて、又、新しい年を迎えているこの頃です。さて、この「日記帳(手帳も含む、以下同文)」、よく見ると、年末の12月31日で終りの筈なんですが、殆ど、何処のメーカーの商品でも「次の年の一週間位まで(翌年の1月7日頃まで)頁が創って有ります。最近の「日記手帳」には、「月間ブロックカレンダー」と言われる頁が有って、ここの部分に至っては、翌年の3月末日まで作って有るものが有ります。多分、忙しいビジネスマンや海外出張の多い商社マン達の様に、数か月先の予定を見ながら仕事をしている人達には、或いは、この様な「翌年度に食い込んだ頁」は必要かも知れませんが、殆どの人達にとっては、あまり意味が無いように思われるのです。それどころか、新しく買って来た日記帳にも、前年度の11月辺りからの頁を作って有るのが殆どです。今年使った日記帳を、仮に、11月一杯で止めて、翌年度の日記帳の12月から使い始めたとすると、「前年度の日記帳の12月分、1月分、2月分、3月分の頁が無駄になりますし、逆に今年の日記帳を1月7日からか4月からか使い始めたとしたら、翌年度の新しい手帳の一週間から三月までの頁が無駄になってしまう事になります。これが全国規模でこの様な現象が発生している訳ですから、その損失たるや想像も出来ない量になると思われます。紙の無駄使い、ここに極まれりってところでしょうか。毎年、何気なく買い換えては使い古している「日記帳」を見て、ふとそんな事を考えて見ました。皆さんは、毎年、日記帳のどの辺の日付で、次の年の日記帳に移動していますか???

 

大スターのこと

1月 3rd, 2014

スターキャットテレビの番組表を見て居て、ハッと目に止った箇所が有りました。日本映画専門チャンネルの午後6時30分から二時間の番組です。「待ち伏せ」と言う題名が書いて有り、続いて出演者の名前が、何と何と、「三船敏郎・石原裕次郎・勝新太郎・中村錦之助・浅丘ルリ子・有島一郎」という往年の大スター6名の名前が有ったのです。私は時間が来るのを待って、そのチャンネルにリモコンをセットしました。待ってる間、「日本映画専門チャンネルなので、現代劇なんだろうか、それとも時代劇なんだろうか?」等と思いながら、胸躍らせて(現代劇だったら三船や錦之助はどんな姿で出て来るのか、どんな役なのか、勝新は?裕ちゃんは?)とあれこれ思いを巡らせて居りました。が、始まって見たら時代劇で、三船敏郎が、お得意の「用心棒スタイル」で両手を懐の中に入れて肩をゆすりながら歩いておりました。物語は「勝新太郎扮する悪の一味が、信州の三州峠という峠道で、地方の大名が幕府に献上する御用金を、峠道で襲って奪おうとする」内容でした。石原裕次郎が「伊那谷の弥太郎」という浪人やくざ役、浅丘ルリ子が暴力亭主から逃れるために家を飛び出した人妻役、勝新太郎が「峠の宿屋に逗留している玄哲という得体の知れない医者」の役、有島一郎が峠の宿屋の主人役、中村錦之助が手配の悪人を捕まえて帰る途中の田舎の役人役、それに、三船敏郎の用心棒役、と言った配役で、夫々の事情が有って、この六名が「峠の宿屋」に一緒に逗留する内に、御用金に絡んだ事件が発生する訳です。どうやら、三船敏郎が、「用心棒」のドラマの制作にあたって、ほかの5名に出演を依頼したのだろうと思われました。それにしても、これだけの豪華メンバーでどんなドラマが生まれるのか、かなり期待して見たのですが、予想に反して、ドラマは、平凡な二時間ドラマで終りました。テレビドラマに限らず、映画にしても、このように一流スターを使って創られるものは、じっくりと時間と暇をかけて創っていかないと、プロデューサーや監督が、出演者に配慮し過ぎに陥って、時間内で夫々の俳優さんの良い所を出せず仕舞いに終り、全体が総花的に薄っぺらな内容になって仕舞うのではないでしょうか。せっかく大スター6名が一堂に会したんですから、モット中身の濃い、深みの有るドラマを作って欲しかったと思ったのです。これだけの大スターが揃ったんですから、アカデミー賞の各部門の賞を、総なめにする位の映画が出来ても良かったのではないだろうか、と、思ったのです。尤も、製作者の方で、ドラマの内容よりも「スターの顔見せ的な狙い」で創られたとしたら、その目的は十分に達成されたのではないでしょうか。私は、久し振りに観た六大スターの懐かしい姿に、ただただ、感激しながら画面に釘付け状態で観て居りましたから・・・。六名の内五名のスターは既に「他界された人達」でしたね。普通のサラリーマンが、束になってかかっても、足元にも及ばない様な稼ぎをしていた、往年の大スター六名が共演したテレビの時代劇を見て、「惜しいなあ~もっとどうにか為らなかったのかな?」と思いながら書いてみました。

松飾のこと

12月 31st, 2013

毎年この時期になると、家々の門には「門松」が飾られます。昔の人の知恵で、新しく迎える年が、元気で健やかに過ごせるように、との願いを込めた「松竹梅」がその主役です。も、全ては「大雪にも負けず元気に成長する」と言うところから、縁起物として飾られているようです。唯、作近では、単に「健康で有りたい」と言う願いのほかに、もう一つ加えてもいいのではないかと、思われるものも有るようですが?私の家は、マンションですから、玄関の脇に「門松」を飾る事も出来ないので、スーパーで売っている団地用の松飾を買ってきてドアーの表に表示するようにして居ります。これだけでも結構正月が来るんだと言う、何かしら目出度い気持ちになるものです。家の中に「鏡餅」を飾り、お雑煮を作り、おせち料理をテーブルに並べると、もうそこは「お正月気分」一色です。これで、テレビの「年末年始の特別番組」でも見ながら、お神酒を一杯となると、狭いながらも我が家は春ランマンという感じになります。あと数時間すると、近くのお寺で除夜の鐘が鳴り始め、初詣の人達の話し声や足音が聞えてきます。毎年見慣れて聞き慣れた「年の瀬」の風景です。来年は午年で、日ごろ見慣れている馬の姿が、なんとなく新鮮味を帯びて目に飛び込んできます。直ぐ近くに「エヤポートライディングクラブ」という馬の調教所が有りますが、来年は、正に当たり年でしょう。午年の来年は、「午」にちなんだ色々な縁起物が町中を飾るでしょうし、商店街などでは正に「午一色」になる事でしょう。私も来年は、「午よりも早く、午よりも高く」飛躍の年にしたいものだと、ひそかに念じて居ります。松飾の松竹梅を眺めながら、少しばかり心新たにして来る年を迎えようかなと思って居ります。

刑事コロンボのこと

12月 29th, 2013

自宅のテレビで今年の春から「ミステリーCH」が見られる様になりました。朝から晩まで文字通り24時間「ミステリードラマ」のみを放送して居ります。勿論スポンサーの会社のコマーシャル放送も有ります。内容は「刑事もの」「探偵もの」が主流です。それも、外国のテレビドラマで人気あるものが放送されます。「女警部ジュリー・レスコー」「信念の女刑事べラ」「主任警部モース」「バーナビー警部」「フロスト警部」「警視モンタルバーノ」「刑事マードックの捜査ファイル」「スエーデン国家警察特捜班」等等、チョット挙げただけでもこれだけ有ります。この他に、アガサクリスティーの探偵ものや日本の刑事もの等、枚挙に暇なしです。中でもアメリカのテレビドラマでヒットして、日本に伝わってきた「刑事コロンボ」は何度見ても面白く、興味シンシンデス。「うちのカミサンガネえ・・」の名セリフで一世を風靡した主役のピーターフォークの飄々とした姿は、あの人懐っこい表情と共に私の心にしっかり住み着いて居るのです。ピーターフォークさんは既に他界されたと聞いて居りますし、日本語吹き替えの声優さんも何人目かに代替わりして居るようです。このドラマで私が最も好きな箇所は、ドラマの終わり近くで、コロンボが犯人に対して、グーの音も出ない様な証拠を突きつけ、又は言い逃れできない様な状況を作り上げて、唖然としている犯人を逮捕する瞬間です。相手の犯人役の俳優さんは、男優あり、女優ありで、毎回「有名なゲストスター」が登場して、迫真の演技を見せて呉れます。犯人の身分が大物で有ればある程、この部分のシーンは際立ってくるのです。ドラマの初めから終盤まで、コロンボを見下して応対していた犯人が、最後に唖然とした表情でうな垂れ、これを「優しさの混じった様な勝ち誇った目付き」で見つめるコロンボの表情に、しびれるような魅力を感じるのです。自分では、コロンボのドラマは、殆ど全部と言って良い位、観て居た積りでいしたが、今回、改めて視聴して見ると、観ていないものが以外と多かった事にも驚かされました。又、吹き替え版では無く、字幕版でピーターフォークの生の声が聞かれる事も楽しみの一つです。ぎくしゃくしている「中国や韓国との話し合いに」コロンボの様な外務省の係官が出向いて、「うちのカミサンガネ・・」と言ったり、大岡越前の様な人が出向いて行って「三方一両損」でめでたしめでたしとはならないものですかね?コロンボの名演技を見ながらふとこんな事を考えてしまいました。おわり。

誤表示のこと

11月 15th, 2013

国内の有名なホテルや旅館で、料理のメニューに表示された商品とは異なる商品を出していた事が明るみになって、連日「申し訳有りませんでした」の大合唱だ。発覚した当初は、「単純なミス」とか「知識不足だった」等と言い訳をして「偽装」と言う事は認めなかったが、隠しきれなくなって「申し訳ありませんでした」とカメラの前で頭を下げる羽目になってしまった。何と滑稽で哀れな姿でしょうか。単純なミスや知識不足から起きた事で有れば、何年も前からやっていた事なので、たまには、実際に使われていた商品よりも低価額の商品が表示されて居ても可笑しくない筈である。なのに、どの例を取り上げても、一つの例外も無く、「表示内容」は、実際に使われて居た商品よりも高価なものばかりである。誰が考えても、「安く仕入れた商品」を高く仕入れた商品であるかのごとく嘘をついて表示してお客をだまし、その利ザヤを稼いでいた、としか考えられないのである。なのにあれこれ言い訳をして後になって「偽装を認め」て謝罪すると言うやり方は本当に見っとも無いの一語に尽きる。かって、大阪の有名な高級料亭で、前のお客が食べ残していった料理を、後から来たお客に出していたと言う事がばれて、これも散々言い訳した揚句に「申し訳ありませんでした」と、カメラの前で頭を下げて居たニュースを見せられたが、方法こそ違え、これも「単純な利ザヤ稼ぎ」の偽装行為である。今、あっちこっちで同じ様な偽装工作が明るみに出て、連日「済みませんでした」の連続で有り、観て居る我々は「お前もかっ!」と呆れてしまうのである。正に「赤信号皆で渡れば怖くない」の図式そのものではないか。どうせ誤るなら、色々言い訳しないで「少しでも利ザヤを稼いで儲けようと思ってやりました、今後は一切致しませんのでご容赦願います」とあっさりと解り易く誤って反省した方が可愛くて人間味が感じられるのである。騙されて安い物を食べさせられても、吐き出して表示内容と同じものを食べさせて下さい、と、言う訳にもいかず、騙されたまま店を出るしか方法は無いのである。食べた者としては、偽装事実など明らかにしてくれなかった方が、むしろ気持が休まりそうな気もします。「今日は良いお料理食べれて良かったね、美味しかったね」と感じたままで終わりたいものです。業者の皆さん、もう二度とこんな事は厭ですよ。

 

天気予報のこと

6月 21st, 2013

毎年の事ですが、6月に入り梅雨を迎え、更に台風シーズンが到来して、テレビやラジオ各局の天気予報がにぎやかになって来ました。予報士の方でも、夫々特徴を出そうと言う狙いからか、色々細かい所まで手が届く様な方法で予報をやってくれるようになり、聞いて居る方では誠に有難い限りで有ります。中には、視聴者から「三日後から一週間、お婆ちゃん達と○○へ旅行に行きますが、そちらの天気は如何でしょうか?」等と、ピンポイントで質問を受けて回答している予報士も居たりして、和やかでほのぼのとした温もりを感じながら見たりして居ります。が、偶々観たある局の天気予報で、ふと気になった事が有りました。それは、過ぎ去った昨日の天気を「昨日のお天気は何故あんな事になったのか」と言う事を盛んに天気図を示しながら説明して居た事です。即ち「この地域にこう言う○○が有ったからこちらの地域がこういう天気になったのです」と言う様な内容です。気象学等を専門に勉強している人達には、大変参考になる事かも知れませんが、私を始め、大多数の人には、既に終わった事をいくら細かく説明されても「ああそうですか」と単にうなずく程度の興味しかないと思われるのです。終わった事をくどくどと説明する時間が有ったなら、その時間を使って、「その地域にそう言う○○が発生するかもしれなせん、若し、それが発生したら、こちらの地域ではこんな天気になりますよ」と、予報してくれた方がよほど有難いと思うのです。終わった事を丁寧に説明すればするほど、それは、「予報が外れた事に対する言い訳をしている」ようにしか映らない様な気がします。「天気の予報と天気の結果報告」とを混同しないで、しっかりと地に足の付いた予報をお願いしたいものです。元々天気予報等と言うものは、刻々と移り変わる大自然を相手にして居る事なので、「これで絶対間違いない」等と言う事はあり得ない事位は、視聴者もちゃんと理解しながら視聴している訳です。天気予報に、曖昧な言葉が沢山出て来る事も、私達は知って居ります。大変に困難な仕事とは思いますが、「曖昧な表現の中にも一縷の真実を信じて」視聴して居ります。予報が外れたからと言って、余りあれこれと言い訳はして欲しくありません。頑張ってください。

必殺・・・のこと

6月 10th, 2013

言わずと知れた「中村主水」こと藤田まこと主演の時代劇「必殺シリーズ」の事である。大変な人気が有ると見えて、その題名も数え切れない位沢山創られているようです。が、ドラマの主軸をなす「主題」は、誰にでも解り易い所謂「勧善懲悪」の物語である。長年勤めている役所では、うだつが上がらず、何時も「おかま風の上役」に、ネチネチと虐められながらも家族の為にじっと耐えて居る主水が、一旦裏の稼業に回ると、四~五人の凄みの有る仲間と協力して、スーパーマン的な強さを発揮して、悪事の限りを尽くす奴等を「見るも鮮やかな方法で一人残らずやっつけてしまう」と言うきまりきった筋書きである。悪い奴等も、回を重ねる毎に極悪人が登場するようになり、ドラマを見て居る方でも「こんな悪い奴(地位の高そうな奴)をどうやって懲らしめるのか」という期待が膨らんできます。悪人の地位が、世間的に高くなればなるほど、悪さの度合いが強くなればなるほど、凶悪になればなるほど、この期待度も高揚して来るのです。これは、今の世相を如実に反映していると思われます。悪い事(殺人・強盗・窃盗・詐欺・横領等の刑事事件に関する事や、事前に情報を入手して地価が値上がりする事を知りながら付近一帯の土地を買い占める事等等)をして居ながら、裁判では「全てを否認して平気な顔をして居る奴等」、無免許運転・飲酒運転・等法律で固く禁止されている事を守らずに、通り掛かった人を何人もひき殺しておきながら、他人事のように平然としている奴等、の、何と多い事か。これを世界に目を向けても、同様の事が言えるのではないでしょうか。即ち「誤った自国の情報に基づいて、その情報に関しては無実で有った他国の指導者を追い詰めて政権の座から引きずり降ろして得々としていた元指導者」「他所の国の人間を何人も拉致して(させて)置きながら、平然と自国への経済援助を脅迫まがいに迫った元指導者」等、数えれば枚挙に暇が無い位である。然も、それらの全てが(国内・国外を問わず)裁判等では灰色の結論になってしまう事が如何に多い事か。見ている人達は、「イライラのしっぱなし」である。悪い事をやった奴が、うやむやな裁きでノウノウト罪を逃れて居るのである。こんな世相に嫌気をさした人達が(私を含めて)かの「中村主水」に「精神的な拠り所を求めたとしても」何等不思議な現象では無いと思うのである。現世でやれない事を、テレビの画面の中とはいえ「中村主水」は、苦労をしながらもきっぱりとやり通してくれるのだ。証拠を残さず、一人残らず、綺麗さっぱりと始末してくれるのである。うやむやが無い。灰色の決着と言うのが無いのだ。ここに「中村主水」の存在価値が有ると思えるし、今後も大いに頑張って欲しいと思うのである。仕事を終わって、中村家の門をくぐった主水が、「名物の嫁と姑」にチクリチクリと嫌味を言われながらも、何処か満足そうな表情を浮かべながら、テレビ画面を通して、観る人を癒してくれるラストシーンも、毎度の事では有るが楽しみの一つである。これからも、自分の身の周りに何か有った時は、躊躇せず、安い賃金で「中村主水」にお願いしていこうと思っております。

時代劇で気になること

2月 2nd, 2013

去年から「時代劇専門チャンネル」なるテレビを見る様になった。朝から晩まで放送される番組はすべて「日本の時代劇」で有ります。中には新しい物もありますが、殆どは過去に放送されたものです。今テレビや映画等で主役を張って活躍している人達の若い頃の映像が出てきたり、既に故人と成られた有名な俳優さん達もどんどん出て来て、自分の若い頃の思い出と重なったりしてそれなりに楽しい時間を満喫して居りますが、最近「気になる場面」を良く見かけます。それは「製作年代の比較的若い時代劇」に良く見かけるシーンです。屋内屋外を問わず、女の人が歩いていて、全くの通りすがりに「死んだ人」や「大怪我をした人」又は「血まみれになって倒れている人」等を見かけた時に、辺り憚らず「キャーっ」と大声を上げて叫ぶシーンです。すると「付近を歩いていた主役の武士がこの声に気付いて、いきなり走り出す」というもの。近くで有ればいざ知らず、人里離れた山道や田舎の道路、或いは寝静まった繁華街の街路、等色々な場面で良く見かけるシーンです。外国の映画を見ると、こんなシーンは昔から「当たり前」のようにして私達の目に飛び込んでいたシーンですが、日本の映画では以前はあまり見掛けなかった様に思うのです。時代を遡れば遡るほど「女性が大声を上げて人前で泣いたり或いは叫ぶ」と言った様な事は、あまりなされていなかったように思えるのです。主役の俳優も「悲鳴を一度聞いただけで」どの方角かを見極めて駆け出していく訳ですが、その速さと言ったらコンピューターも顔負けの感が有ります。日本文化の基本は「恥じらいの文化」と極言する人が居る位、日本人は人の前で大声を上げたり色々な動作をしたりする事を「はしたない」等といった言葉で避けてきたはずです。特にこの傾向は女性に強かった様にに思われます。にも拘らず、最近の時代劇でこういうシーンがまかり通っていると言う事は、戦後急速に入り込んできた海外文化の影響なのでしょうか。魚や動物や昆虫や草木に至るまで「外来種に征服されて絶滅危惧種に指定された日本古来の草木や生き物達」が多数に上っている現状で「時代劇の中の女性の悲鳴」を視聴する時、「昔の風情を漂わせた本当の意味での時代劇」も「絶滅危惧種」にならない事を祈るばかりで有ります。

続社長漫遊記のこと

10月 23rd, 2012

テレビの「日本映画専門チャンネル」で、何十年振りかで見出しの「続社長漫遊記」なる映画を見た。私が20歳代の前半ごろに大ヒットした東宝映画の代表作の一つだ。人気が有って沢山のシリーズ作が創られた映画でもある。主な出演者は「森重久弥・久慈あさみ・加藤大介・草笛光子・三木のりへい・小林圭樹・フランキー境」等そうそうたるメンバーだ。話の筋は大体似かよっていて、染料を扱う会社の社長である主演の森重久弥が、会社の仕事にかこつけて沢山の女性と浮気?をしようとするのだが、その都度、肝心の処で邪魔が入りそれが出来ないまま、社長夫人の久慈あさみにとっちめられて、のらりくらりと言い逃れをしたりする、コミカルな喜劇である。現在の世相だったら間違いなく「セクハラ騒ぎ」になりそうなセリフや仕草が随所に設定されていて、観客が思わずにやりとしてしまう場面が沢山用意されているのだ。前記の出演者の中には、既に故人となられた方々もあり、懐かしさと相まって三時間近くかかった映画をアッつと言う間に見終わった感がしたのを覚えている。振り返ってみて、最近の世相が、当時と比べてあまりにも「ギスギス」していないかと感じさせられた一時でも有った。ちょっとした事を捉えて直ぐ「訴訟沙汰」に持ち込む傾向や、親子が反目しあったり、せっかく一緒になった夫婦が、何のためらいもなく離婚したりする世の中。親が子を、子が親を、夫が妻を、妻が夫を、様々な理由で殺し合う事件が余りにも多すぎないか。懐かしい映画を見た後で、当時の世相の「大らかさ」が垣間見えて思わず「あの頃は良かったなあ」と、一人で懐かしく懐古の情に浸った一時でも有った。

必勝祈願のこと

9月 12th, 2012

プロ野球もシーズンの終盤を迎え、どこの球場でも、試合・応援共に熱を帯びてきた感が有ります。中にはリーグ優勝を表すマジックなるものを盛んに取り上げられて騒がれているチームがあるかと思えば、今年も「最下位ほぼ確定」と言われて低迷している球団もあります。チームを統括する球団オーナーを始め監督、コーチ、その他大勢のプロ野球関係者のご苦労もヒトシオだと推察しているところです。さて、ここで不思議なのが見出しに書いた「必勝祈願」なるセレモニーの事です。毎年どの球団も練習のためのキャンプを張ります。寒い日本を脱出して海外で練習する球団もあれば、国内の温暖な地方へ移動してキャンプする球団もあります。面白いことに、どの球団もキャンプ地の近くにある神社などへ出向いて監督以下ほとんどの選手が参列して柏手を打って参拝します。記者団のインタビューにはどの球団も口を揃えて「狙うは優勝です」「Aクラス入りを狙います」「選手の健康を祈ります」等と威勢のいい返事が返ってきます。さてシーズン終盤を迎えた今、毎日報道されるプロ野球の「勝敗表」を見てみると、勝ち数と負け数が全く逆になっている球団が有ります。同じように「必勝祈願」をしているのに、開幕以来五ヶ月経った今、何故にこんなにも差がついたのでしょうか。勝っている球団は「必勝祈願」なるセレモニーのご利益があったと思われますが、負け数の多い球団のご利益はどうなってしまったのだろうと思わずには居れません。勝ってる球団は「お供え物が多かったのか」とか、負けてる球団は「お供え物が少なかったのか」「お参りしていた球団関係者の中に真剣にお参りしていなかった人が居たのでは」等と勘ぐりたくもなってきます。色々な情報が飛び交う昨近、勝敗の予想もかなりの確率で的中するようになってきました。これらの予想の中に、「飛翔祈願」のやり方が拙かったとか、逆に「必勝祈願」のやり方が良かったとか言う理由を上げる解説者は一人もおりません。予想の裏付けになるのはほとんどが「選手の実力」や「経歴」「体力」「チームとしての纏まりの良さ」「監督の手腕」「親会社の経営方針」など等です。そしてその予想は大体的中します。特に「最下位チーム」と「優勝チーム」の予想は確率が高い様です。それならば、あの毎年恒例となっている各球団の「必勝祈願」なるセレモニー(敢えてセレモニーと言わせてもらいます)は取り止めたらどうなんでしょうか。このセレモニーに要する費用や時間を、選手の育成等の他の方へ回したらどうでしょう。弱小球団は、特にお金を使っていい選手を沢山とって来季に備えるとか。プロ野球の勝敗表を眺めながら、ふとコンナ事を考えたりしました。でも、これは、良く良く考えてみると、何もプロ野球の世界のことだけではありませんでしたね。私達個人の日常生活にも同じ事が当てはまるんでしたね。年寄りがコンナ事を考えて暮らしていける日本はそれだけ平和な国なんだと感心したりして・・・。

床屋さんの「合わせ手鏡」のこと

7月 30th, 2012

床屋さんに散髪に行かれて方なら、誰でも経験済みの事と思いますが、一通り散髪がおわり整髪も終了して、いざ椅子から立ち上がろうとする直前に、店長さんが近づいて来て、近くの棚から「ふたつ折りになった手鏡」を取り出して、それを開いて、私の頭部の後ろのほうを写して「如何ですか」とか「これで宜しいでしょうか」等と尋ねてくれます。毎回ハンで押したようにこの動作わ繰り返されます。私はこの時は既にかなりの時間が経過していて、ああやっと終わった、という感じで既に気持ちは椅子から立ち上がりかけているのです。そこへ件の店長さんが現れて、前述の動作が始まる訳です。私の前には床屋さん独特の大きな鏡が取り付けられており、顔の全面は、小さな髪の毛でもすぐ見付かる様になっておりますが、肝心の頭の後ろの方は全然見ることが出来ないので、どういう仕上がり具合なのかさっぱり分からないのです。この不便さを解消するために店長さんは、この合わせ手鏡を使って、私にサービスしてくれていることは良く分かります。分かるのですが、さて、この合わせ手鏡、皆さんはどう解釈されますか?私が床屋さんへ行くのは「顔剃りと頭髪のカット」が主な目的です。若い頃は「パーマをかけたりアイロンパーマ(通称アイパー)」をかけたりした時もありましたが、ここのところ殆ど「カットと顔そり」のみなのです。そこで問題になるのが、前述の店長さんの「合わせ手鏡」の所作です。一体どんな意味でこれをやってくれるのか、少々疑問があります。パーマなどの特殊技術を施してもらった時等は、整髪のあとで鏡を見せられてその仕上がり具合を店長さんと一緒に検討して、あれこれ話し合い、気にいらないトコロがあったら少しずつ手直ししたりするという手順は理解できるのですが、今の私の場合は、何度も言いますが「カットと顔そり」だけなのです。カットしてしまった後に「如何ですか」とか尋ねられても、なんと答えていいのやら返事に困ってしまいます。もしも私が「カットしすぎだ」と感じた箇所があってそれを指摘したとしたら、店長さん、一体どうされるのでしょう。カットして床に落ちてる髪の毛を拾い集めて私の頭髪に継ぎ足してくれるのでしょうか?日頃何気なく見過ごしているなんでもない様な所作から、ふと、色々な事が考え出されて思いつくまま書いてみました。皆さんはどう思われますか?

アイフォンのこと-2

6月 10th, 2012

息子に勧められてアイフォン4を使い始めて2年目となります。使い始めは多少の不安と迷いがありましたがいつの間にか慣れっこになって、今では結構重宝してます。特にアイフォン用に創られた「アプリ」と言う便利なものが有って、それをネットで検索して気に入ったものをダウンロードしてそれを開いて利用すると言う一昔前までは考えられなかった事が日常当たり前のように利用可能な事です。ご多分にもれず私も色々検索して、無数のアプリの中から「ソリティア」と言うアプリと「囲碁」のアプリ、それに「瞬間日記」と言う無料のアプリをダウンロードして、気が向いた時とか、時間潰しの合間等に結構利用しております。特に「瞬間日記」に至っては家の中、外出中を問わず気付いた事をこまめに入力して、記憶が薄れないように活用しております。又ゲームアプリは、それこそ場所や時間等気にせず、やりたい時に初めて、やりたくなくなった時は突然中止したり、と、勝手気ままに利用しておりますが、アプリは文句一つ言うでもなく何時も私の要求に素直に応えてくれます。更にメールに至っては「何時でも何処でも」受発信ができますし、以前のようにメールを打つ為に態々パソコンの前に座る必要もありません。道案内をしてくれるアプリも有りますし、地震の予報を緊急警報と共に教えてくれるアプリも有ります。つまり、パソコンの機能を一杯詰込んだ「小型パソコン」を持ち歩いているのと同じです。写真撮影機能や動画撮影の機能も有ります。自分で自分を撮影出来る「自分撮り機能」も備わっております。世の中が進歩するにつれて、アイフォンも今後ますます進化していくでしょう。後何年かしたら「匂いや香り」が一緒に楽しめる写真機能が出来ているかもよ・・・?楽しい未来を夢見ながら今日も元気に タップ ダブルタップ スクロール フリック スライド ピンチアウト ピンチイン 2本指タップ 長押し ああ忙し忙し・・・。

「時代劇」のこと

4月 29th, 2012

今年の初めからテレビで大好きな「時代劇」を見る機会が増えました。朝から夜まで文字通り24時間時代劇専門で放送しているチャンネルが有るからです。若い頃、胸ときめかせて映画館へ見に行った東映時代劇。時代が移り黒沢明監督に代表される活劇物等。あらゆるジャンルの時代劇が毎日見られます。この種の映画の楽しさは、何と言っても「自分の過去の思い出と一つになって楽しめる」事です。更に面白いのは、現在では所謂ベテラン俳優として活躍している有名なスター達の若い頃の画像が楽しめる事ももう一つの楽しみ方で有ります。そして忘れてはいけないのが、既に「この世を去った有名人達」のはつらつとした躍動感あふれる映像がふんだんに楽しめる事です。「あっ!この人、こんな役やっていた時が有ったんだ」「ええっ?これ本当にあの人なの?」と言う様なドラマの筋以外でも結構楽しめるのです。又、かって「不仲説」が報道された事のあるスター同士が、片方が監督をして作った映画にゲストスターとして出演しているもの等も有り興味は尽きません。最近では多分に年の所為だと思いますが、「江戸情緒たっぷりなしんみりした内容のドラマ」にひきつけられて居ります。いくら人を切っても、返り血一つ浴びないで何時も颯爽と立ち回る主役が多い「東映系」。どちらかと言うと、薄汚れた着物でめっぽう剣の技が強い「東宝系」の主役達。そのどれもが、夫々の時代の要求に応じて創られた時代劇で有りましょう。俳優の名前をあげ始めたらそれこそ際限がないくらいに懐かしい名前が出てきます。さて、GWを迎えてどの俳優に会いに行こうかしら。各局が満を持して番組を編成しているようです。「御宿かわせみ」「剣客商売」「鬼平犯科帳」「座頭市物語」「眠狂四郎」「柳生十兵衛七番勝負」「陽だまりの樹」「居眠り磐根」「必殺仕事人」等等、まだまだ有ります。美味しい物でも食べながらゆっくりと鑑賞したいと思って居ります。時代劇万歳!!