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プロ野球のピッチャーの「持ち球」のこと

水曜日, 4月 23rd, 2014

プロ野球が開幕して色々な話題が私達を楽しませてくれます。大きな話題は、アメリカのMLBに移籍SANYO DIGITAL CAMERAして向こうのチームの選手になって活躍している日本人選手の話題でしょう。第二次世界大戦で、命をかけて国と国とが争って居た時を思い起こす時、眼の玉の飛び出す様な、想像もできない様な多額の契約金で自由にアメリカへ移籍して活躍できる今の時代は、正に隔世の感が有ります。私達が小さい頃、学校の休み時間に、運動場で、ぶわぶわした柔らかいボールで野球をやっていたのを思い出します。その頃のピッチャーの投げる球は「直球」か「カーブ」位しか名前を知りませんでした。それが最近では「ストレート」「カーブ」は勿論「ドロップ」「スライダー」「シンカー」「ツーシーム」「スリーシーム」「フォーク」等等、色々に変化するボールを駆使する時代になって来ました。小さい頃、漫画を読んで覚えた「空想の世界の変化球」が、現実のものになろうとしているのです。そうそう「スピリットフィンガーボール」なんて名前の変化球も有ったように思いますが。これ等の変化球を覚えなければならない今のピッチャーは大変でしょうね。また、こう言う変化球を操るピッチャーと対峙するバッターもこれまた大変です。真っ直ぐ飛んでくるSANYO DIGITAL CAMERAと思っていたボールが、打者の近くへ来て急に変化してしまううのです。理屈から考えても「空振り」するのが当たり前なのですが、それをカバーしてどんどん打率を稼いでいるバッターも居る様です。渡米した「マー君こと田中将大投手」が、完投こそ逃したものの、大リーグきっての強打者が揃ったレッドソックス相手に「ソロホームラン2本」で押さえて勝ち投手になった試合をテレビで見て居て「度胸の有る素晴らしい人」だと感心しました。これからも、色々な特徴を持った素晴らしい選手がでてくると思います。5年後、10年後、どんな持ち球を持ったピッチャーが出て来るでしょうか。アニメの世界で話題になった「大リーグボール」等と言う「打者のそばへ来て突然見えなくなるボール」を持ち球とした投手が現れるかも知れません。その日が来る事を心待ちにして・・・。

コンテ絵画のこと

月曜日, 2月 24th, 2014

SANYO DIGITAL CAMERA今年私の所に届いた年賀状の中に、一寸変わった内容の年賀状が有りました。本文の方に「映画・哀愁」のスチール写真(実際は写真では有りません)が張り付けて有り、懐かしい往年の大スター(ヴィヴィアン・リーとロバートテイラー)が抱擁している画面(白黒画)が有ったのです。そして画面下の余白に(謹賀新年 平成26年元旦 2月18~23日「名古屋市民ギャラリー栄」の作品展で御待ち致します。と書いて有りました。表の差出人は、私のかっての職場同期生で「M.I」さんでした。去年の暮に、久し振りに「同期生会」が招集されて、懐かしい面々が一堂に会して旧交を温め合ったのですが、その席で、「M・I」さんが絵画の講師をしている事を聞いて居たので、賀状の本分の「写真」を見た時に直ぐ分ったのです。この同期生会で初めて「コンテ絵画」と言う耳慣れない言葉を耳にしたのです。ネットで調べたところ、コンテとは「画材でクレヨンの一種。顔料と粘土等を粘着剤で四角柱に固めたもの。パステルに似ているが、折れにくく絵画の下絵(デッサン)等に多く用いられる。1795年フランスの軍人で画家だった「ニコラ・ジャック・コンテ」が発明したもの」と有りました。正月も過ぎて二月になり、自分の趣味行事に追われて暮らしているうちに、ふと「写真入りの年賀状」の事を思い出して日時を確認したところ「23日迄」になって居る事に気付いて、2月21日に慌てて「名古屋市民ギャラリー栄」8Fへ行って来ました。何箇所か有る展示室の一つにその会場が有りました。中に入って直ぐ「M・I」さんの姿が有りました。中折れ帽をかぶったダンディーな姿です。職場の学校時代から同僚や先輩達の似顔絵を描いては皆を喜ばせて居た頃と少しも変わって居ません。元気な姿です。展示室の仕切り壁一面に張り付けられた作品を見て回りました。この間「M・I]さんは丁寧に解説をして下さいました。数えはしませんでしたが、大勢のお弟子さんの作品に混じって「M・I]さんの作品も「五枚」展示されて有りました。今を時めくニュースキャスターや名古屋駅のツインタワー・NHKあさいちのテレビキャスター・それに「他界した同期生Hさんの顔)等等、我々素人目で見ても、この五枚の作品は、他の作品と比較して、正に「別格」と一目で解るほど素晴らしい出来栄えでした。描かれた人物の髪の毛や皮膚の感じ、更には「目」の様子等見て居ると「今にも瞬きをするのではないか」「お喋りしてくれるのでは?」等と思えるほど、生きてる人物そのままであると感じられたのです。人が一つの事に傾注してそれをやり遂げると言う事の素晴らしさ、偉大さを心行くまで堪能したひと時でした。「M・I」さんの飾り気のない人懐っこい姿に接して「ああ、この人は、心の底からコンテ絵画を愛して居るんだ、生甲斐なんだな」と言う事が手に採るように理解できました。そして、生きて行く事の素晴らしさを痛いほど感じ取れたひと時でした。来年は個展を開く予定だそうです。またぜひ見に行って、再び、この感動に浸って見たい、と、今から楽しみです。

年賀状のこと

水曜日, 1月 15th, 2014

年賀状画像-web毎年の事ですが、今年も沢山の年賀状を頂きました。身内からのもの、親しくしている人からのもの、そんなに親しい間柄では無いけど、過去の経緯から年に一度の挨拶賀状の様な人からのもの、さまざまです。通信欄の構成も色々で、手書きあり、印刷有り、写真ありです。書かれている文字も、これまた色々です。毛筆、ボールペン文字、筆ペン文字、パソコン等の印刷文字、市販の印刷された文字、夫々に個性が有る様な、無い様な感じです。又、差出人の名前も、御自身の単名でくる人、御夫婦連名の人、中には差出人名を書き忘れている人、等等、これまたさまざまです。さて、この年賀状、毎年、年の瀬が迫ってくると、郵便局が「12月25日頃までに投函して貰えば元日に配達致します」と、広報を繰り広げます。これも年末の風物詩の様な風景です。私も、この広報に従って「毎年12月25日頃までに投函」して居ります。ですから、私の出した年賀状は、「必ず翌月の元旦」には相手方に届けられている筈です(確認した事は一度も有りませんが・・・)。年賀状が自宅へ配達される日もこれまたさまざまです。一番多いのはやはり元旦です。自分が出した相手の人の約九割近くの人が、元旦に届けてくれます。それからは急に届けられる枚数が減って来ます。そして1月の7乃至8日頃までで年賀状も終了です。この頃には、家々に飾られた「松飾や門松」等のお飾りも取り払われてしまいます。これ等の風景も例年通りです。ところで、私が数十年前から年賀状のやり取りをしている人の中に、「年賀状を12月に書くなんて馬鹿げた事はすべきではない、年賀状は必ず元旦か遅くとも3日までの内に書きあげて投函すべきものだ」と言ってそれを実行して居る人が有ります。その人は、毎年、元旦の清々しい空気の中で墨を摺り、新しくおろしたての筆を使って文字を書くんだそうです。素晴らしく見事で流麗な草書文字で、かの有名な「紫式部もこの様な人だったのでは?」と思わせる様な教養と風情の有る女性です。この人の年賀状に対する考え方を思う時、私は何時も、「元旦に届ける事を主眼にして投函すべきか、それとも、少々配達が遅れても、元旦に書いた年賀状を投函して相手に読んで貰うべきか」で迷いながらも、今までは「元旦配達」にこだわって投函を続けてきました。今後如何するかについてもまだ決めては居りませんが、さて、皆さんは「元旦配達派?それとも元旦書初め派?」生活のテンポが目まぐるしい昨今の世相を思う時、元旦配達派の方が理に適っている様にも思えるんですけど???整理を終わった今年の年賀状の束を見ながら、ふと考えた事を書いてみました。