今年も今日で終わりです。一年を振り返って、今年は色々話題の多い選挙が行われた年だと思います。そしてそれぞれの選挙で「当選者・落選者」に別れて挨拶が有りました。何時もの光景です。当選者の挨拶はさて置き、私が不思議に思うのが“落選者の挨拶”の事です。落選者の殆どが選挙事務所の中で、運動員や支持者の見守る中で「今回は私の力不足で当選することが出来ませんでした、本当に申し訳有りませんでした」というような内容の誤りの言葉で締め括っております。私はこの事が不思議でならないし、時には滑稽にさえ思えてくるのです。何故なら候補者は立候補を決意したその時から、それこそ死に物狂いで戦ってきたと思います。にも拘らず落選したのには色々な原因が有るでしょうが、中でも最大の理由は「この人を当選させようと考えて集まってくれたスタッフや運動員達の努力不足に他ならない」と思うのです。選挙が始まると、どの候補者も一斉に運動員やスタッフを集め「法律で定められた費用」を払って自分の為に運動してもらうのです。この点において全ての候補者が平等だと言う事になります。にも関わらず結果は「当選者と落選者」に別れてしまうのです。どんな選挙でも、候補者一人がどんなに頑張っても、その力はしれたもので、後は運動員達の活動如何で大きく差が付いてくると思われます。それなのに落選者の事務所では、候補者一人が恰も自分が悪者の張本人ででも有るかのごとく、悲痛な表情で、時には涙さえ浮かべて「済みませんでした」と謝っているのです。こう言う時、かの運動員達は何処へ行ってしまうのでしょうか、事務所の裏でこそこそ話でもしているのでしょぷか、本当に謝るべきなのは他ならぬ「この運動員達ではないのか」、と思えてならないのです。運動員達が全員で、この候補者に投票してくれた人達や候補者本人や関係者に向かって「私たちの努力不足でした、本当に済みませんでした」謝るべきなのではないかと思うのです。この候補者を当選させようと思ってその事務所にはせ参じて、法廷の費用を貰った以上、その候補者の為に死に物狂いで頑張るべきなのです。それをどこかで手を抜いて他の候補者に当選されてしまった事には、当然それなりのペナルティーあ有ってもしかるべきだと思うのです。それなのに、落選した候補者の事務所では「候補者だけが謝って運動員は知らぬ顔」と云う構図が、ここ数十年来の各種選挙の度に見られてきた光景ですし、何故だか、世間一般でもこの構図を尤もな事だと肯定している所が有るようです。まったくもって世にも奇妙で不思議な光景だとは思いませんか?