政治家の”道義的感覚”のこと

ここ数年来、政治家が絡んだ事件・事故・各種のスキャンダル等の何と多いこと。連日テレビや新聞などで大々的に取り上げて報道されているので、見たくなくても目に入ってくるし、聞きたくなくても何所からか聞こえてきます。報道されている当の政治家は、沢山のカメラの前で、その都度嘘か本当か解らないような内容の言葉を並べて弁解しております。そもそも政治家とは、国民に選ばれて公の為の政治を司る人の事です。その意味で彼等は我々国民の(或いは庶民の)代表者であり、指導的な立場にある人ではないでしょうか。その人達が、何か良くない事にかかわってマスコミ等から質問された時の言い訳が、口を揃えたように「私は知りませんでした」「秘書がやった事です」等と言って「知らぬ顔の半兵衛」を決込んでしまうのです。事が拗れて裁判沙汰になって、有罪判決を受けても、この態度は変わりません。平然としているのです。この様な姿が連日マスコミで報道された時に、世間に与える影響は大変なものだと思います。その人達の社会的な地位が上になればなるほど、その影響は強くなって来るはずです。庶民ならば許される様な事でも、指導者的立場にある政治家ならば、必然的にその許容範囲は狭くなって来る筈です。そこに「道義的な責任」と云う言葉が出てくる訳です。「そういう規定が無いからいいんだ」「法律に触れて無いからいいんだ」「悪い事をした事にはならないんだ」と云う開き直りの姿が其処に垣間見えます。悪事を働いた人間が、証拠を隠滅した後に追及されて「証拠を出してみろ」と開き直っている態度と何ら変わるところがありません。国政を司る政治家の人達は「庶民ならば許されるような事柄でも政治家だから許されない様な事があるんだ」と云う強い自覚を持ってリードして欲しいものです。テレビ画面を通して、あれこれ言い訳している政治家の姿の何と醜い事!。こんな画面は二度と見たくありません。

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