見出しの「地球の温暖化」が叫ばれる様になってかなりの年月が経過して、いまや世界の各国は、地球規模の観点から、この事を真正面から捉えて議論する様になってきました。世界の色々な場所で開催される各種の国際会議でも、連日熱心な論戦が戦わされているようです。しかし、これらの話合いの過程で残念な事に「各国のエゴ」が顔を出して中々話が纏らないのが現状のようです。特に「先進国」と呼ばれる国と「新興国」と呼ばれる国の対立がもっとも大きな障害になっているようです。何十年も前から地球の温暖化等には殆ど関心を示さず、唯ひたすら自国の繁栄のみを願って地球上に有害物質を吐き出し続けてきた「先進国」が、今になってようやくそのことに気付いて、慌てて「新興国」を交えた国際条約のようなものを作って、地球規模でCO2削減に取り組もうとしている訳ですが、「新興国」と言われる国は之を黙って受け入れる気にはなれないようです。彼らの言い分は「之から先の事はさておいて、今日までの地球環境の汚れに対する責任は、その殆どが「先進国」が負うべきなのではないか、今まで地球を汚してきたのは大半が先進国ではないか、その事を棚に上げて一律に条約で縛り付けることには賛成できない」と言う理論である。つまり「新興国」の人達は「今迄の責任をまず「先進国」が明確にして、其れに対する何らかのペナルティーを科した後で「新興国」と足並みを揃えてやって行こうではないか」と言う事の様である。世界一のCO2排出国と言われている某国が、自国の産業界を擁護するために地球温暖化対策に背を向けている現実を考える時、この「新興国」の意見は、かなりの重みを持っている様に思われるのです。「先進国」と言われている国は、先ず「新興国」と言われている国」に対して「今までは自分達が悪かった、これからは責任ある行動を採っていくから協力して欲しい、済まなかった」と謙虚に頭を下げて誤り、その後で「新興国」の人達と対等の立場で話合いを続けていくべきなのではないでしょうか。地球温暖化の危険性を訴える余り、半ば強圧的に「之に従え」式の論法では、せっかくの纏る話も壊れてしまいます。南海の楽園と言われた南の島国が、地球温暖化の影響で海面下に沈もうと言う危機に晒されている時、各国は自国のエゴを捨てて真剣な態度で此の事と向き合って、一刻も早い効果的な対策を確立して欲しいと念ずる今日この頃です。私達の子孫の為にも・・・・・。