先日、リオ五輪中継の「女子柔道」(階級は不詳)を見ていた時の事です。オリンピック初出場の選手が、確か、三位決定戦だったと思いますが、試合に負けて、両手で顔を覆って、泣きながら引き上げて来たのです。すると、待ち構えていた何処かのテレビ局?のインタビュー担当の女性が、「今日の調子、如何でしたか?」と、問いかけたのですが、件の選手は、泣きじゃくりながら、何も答えませんでした。いや、答えたけど、声がマイクに届かなかったのかも知れません。すると、その女性は、続けざまに、二つか三つの質問を発して問いかけたのですが、やはり、選手の方は泣きじゃくったままで、まともな返事は返ってきませんでした。最後に、女性は、もう一度念を押すように「今の気持ちをどうぞ」と、言ってマイクを選手に突き出しましたが、返事は返ってきませんでした。これを見ていて、私は、内心で、(何と馬鹿な質問をするんだ、試合に負けて、メダルに手が届かなかった事が悔しくて泣いているんだろう、応援してくれた人達に済まない事をした、と言う、悔しい気持ちで泣いているんだろう、今の気持ちは、悔しいの一言に決まっている)と、思い、(見ていて解らないのか?)と、腹立たしい気持ちに駆り立てられたのです。インタビューする女性も、どこかのテレビ局?で、選ばれて派遣されてきた人だと思うのですが、その余にもの無神経さに、憤りを覚えたのです。インタビューする時の質問者側の人は、その場所、時間帯、相手の置かれた立場、等考えて、声の調子や、抑揚、言葉選び、問い掛けの内容、等、考えながらインタビューをするのが常識でしょう。それなのに、試合に負けて、悔し涙にくれている選手に向かって、あたかも、宵祭りの男衆にでもインタビューするような、大きくて、陽気な響きの有る声で問いかける等、インタビューのイロハを勉強し直してきなさい、と、言ってやりたい様な腹立たしさを覚えたのです。厳粛な場所、結婚式場、イベント会場、葬儀場、対話式のインタビュー、等々、数え上げればきりが無いほど、沢山のインタビューの機会は有る筈です。が、大事な事は、どんな場合でも、インタビューを受ける側の人の立場になって、インタビューをするのが、インタビューをする側の基本では無いかと、感じた次第です。リオ五輪の中継画面を見ながら、ふと感じた事を、書いてみました。