「ひな祭り」のこと

毎年3月が近づくと商店街等の売り場には「明かりを点けましょぼんぼりに・・・」の懐かしいメロディーが流れます。そして店内には、これでもか、これでもか、色取り取りのおひな様のお飾りが飾られます。小さな女の子をお持ちのお母さま方は、見るもの全てに目移りして、どれにしようか、これにしようかと、迷われることでしょう。私はこの「ひな祭りの3月」に、懐かしくも切ない思い出が有って忘れる事が有りません。それは、今から70年以上前、終戦の1乃至2年位前の3月でした。当時私は、「国民学校1年か2年生(現在の小学校1年か2年生)」の頃でした。日本中が戦争一色で、「米軍機による本土空襲の噂」が、人伝に聞かれ始めた頃だったと思います。学校のクラスの中に、とても人気のある女の子がいて、何かの時にその女の子の家に、外の友達と一緒に遊びに行った事が有りました。大きな門構えのある家で、今風に言えば「大豪邸」だったと思います。中に通されて客間の様な部屋に入り、更に、その女の子の部屋「個室」に通された時です。目の前に、お人形さんが沢山並んだ大きな飾り棚が見えてきました。私が「節句のひな祭りのおひな様の雛壇を見た瞬間」でした。何段有ったのか覚えていませんでしたが、とにかくその時の雛壇は、私の視界一杯に広がって飛び込んで来たのです。私にとっては、大変な衝撃的な出来事だったのです。家へ帰ってから夕飯の時だったと思いますが、その時の事を話したところ、母が、「あの家は武芸者さん{お金持ちの意)だから」と言う様な意味の事を言って、そのあとは、家族の誰もその事を話題にしませんでした。私は当時、その意味も分からず、「うちにもあれ飾ってよ」と、かなりしつっこくおねだりして、最後には、母に「大声で叱りつけられた」記憶が有りました。此の時、母は「ひな祭りは女の子のお祭りなんです、男の子のお飾りでは有りません」と、言う様な意味の事は一言も言わなかったのを覚えています。若し、此の時、母が、「3月のひな祭りは女の子のお飾りで、男の子のお飾りは5月の鯉のぼりです」と言う様な事でも言って、諭して呉れたなら、或はそんなにしつっこく「おひな様を飾ってくれ」と、駄駄を捏ねたりはしなかったと思うのですが・・・。今その時の母の気持ちを考えてみる時、思い当たる事が有りました。それは、私は次男坊で、私の上に2歳年上の兄がいて、その更に5つ上に、長女の姉さんが居たのです。私の7つ上のお姉さんです。その当時姉は、今で言うところの中学上級生位だったと思います」。その姉のいる前で、私がしつっこく「ひな飾りをしてくれ」と駄駄を捏ねたりしたので、母は、姉に気を使って「ひな祭りは女の子のお飾りです」という事を明言しなかったのではないのか、と思ったのです。それより以前に、私の家で、ひな祭りのひな飾りが出された記憶が有った様な気もしますがはっきりした記憶が有りません。敗戦の1年か2年位前の事で、日本が貧乏になり始めた頃の事です。私の「駄駄」が母の一番つらい部分を刺激したのではないかと、いまとなっては、切なく思い出されるお雛飾りの風景です。その母も、姉も、兄も、そして父も、この世を旅立ってしまいました。毎年繰り返される「ひな祭り」の行事に、遠い昔の切ない思い出を抱いて「生を盗みながら生き永らえている」老人の思い出の一コマでした。

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